2013/04/27

[Travel Writing] Journey to follow the cherry blossoms - 会津若松編

桜前線も順調に北上し、今年も東北では至る所で桜を楽しむことが出来た、と聞いております。しかしまだまだ原発事故により進入規制が敷かれたところが多く、せっかく目の前に花開く桜の息吹を感じることが出来ても、人間が勝手に引いた境界線によって立ち入ることが出来ない… 如何に人間の安全性を優先させるとは言え、何とも寂しい限りです。

3月11日に気仙沼~陸前高田~大船渡へ行った、その次の機会としての東北の旅は、NHK大河ドラマ『八重の桜』の舞台、会津若松。主人公・新島八重は、人生の大半を京都で過ごしたものの、その過酷で波乱に満ちた生涯を終えるまで、ずっと会津に思いを馳せていたと聞きます。ただ単に生まれ育った場所だから、だけの理由ではない、彼女にそう思わせるだけの、『歴史』という一括りではなく、人々の『想い』が詰め込まれた土地。かの司馬遼太郎も、『街道をゆく』の中で、会津若松を執筆する上で、何をどこから着手すればいいか分からない、と文章を連ねるくらい。それほどまでに会津若松には、様々な歴史が刻まれているところと思いました。



今年の桜前線のスピードは、東北にも同じように影響しているようでして。
会津地方は内陸である土地柄からか、浜通りや中通に比べ、桜の開花がとても遅く、特に浜通りでだいぶ桜が散ったなぁ、という時に、ようやく会津地方で桜が開花する、という具合です。山間に囲まれ、さらには豪雪地帯。雪に閉ざされた分だけ、待ち侘びた春の到来は、それは人を大いに喜ばせるのではないかと思います。

……が。
今年の桜前線は、そんな人々の思いを無視するかの如く(爆)、あっという間に通り過ぎていったようで。開花したかなー、と思ったら、それこそふとチェックを怠った瞬間にもう散り際って感じでしたから。実のところ、今回の会津若松の桜見物は、『八重の桜』でも一際煌びやかな映像として利用されている『石部桜』を見ようと思ったのですが… 遠目から見ても分かるくらいの散り振り。 orz
何ともまぁ、思い通りにはならないものですねぇ。 (´・ω・`)

鶴ヶ城(会津若松城)も、その一気に駆け抜けんばかりの桜前線の影響を受けていたものの、まだ何とかもっていたようで、城内を埋め尽くさんがばかりのピンク色に染まった花の色に、しばし見とれておりました。
しかし、仕打ちはまだなお続きまして。城内の展示室で、往年の戊辰戦争~会津戦争の顛末を観覧し、最上階から外の景色を見ようとしたら。何といつの間にやら暴風雨。当然、厚い雲に覆われて磐梯山は見えず。前回もそうだった(前回は帰りがけに会津若松駅に到着したら見えました)… (´д`)
まだまだ見たいところたくさんあるのに、これじゃ全部散っちゃうじゃん ガーッ!! (゜д゜)

……って、天気に難癖付けたところで何も変わりませんので、とりあえずは止むまで城内で一息入れることに。ここまで一気に色々予定を片付けてきましたからね。


鶴ヶ城の観光案内でレンタサイクルを借りて、その足で会津若松をPhotowalk。御薬園、武家屋敷と巡り、會津藩校日新館へ。
會津藩校日新館は、本来あった場所は鶴ヶ城のすぐわき。現在建てられているところは、残されている記録などから復元したものです。
御薬園、武家屋敷はまぁいいとして、日新館は何であんな遠く離れているの?? 自転車では遠すぎますね。かと言ってそこまで気軽に行ける交通機関(バス等)があるわけでもなく、やはり日新館へ行くには車が一番妥当ではないかと思います。気合で自転車で行きましたけど。 ^^;



武家屋敷の中で一番大きな建物は、入り口を入って向かって左手のものですが、これは、幕末の会津藩の家老、西郷頼母の屋敷を復元したものなのだそうです。特に印象的だった展示物が、会津戦争の際、武家の一族として、決して敵の辱めを受けぬよう、頼母の妻や娘たちが一斉に自害した部屋。ただ一つ、守るべきもののためならば、己の生命すらも対価として差し出す姿勢。身震い、畏怖、現代の価値観では想像をも付かない状況ではないのでしょうか。
往々にして、その歴史上の選択は、正しい側面と間違っている側面とがあり、一概にどちらかに決めつけることは出来ません。たとえ辱めを受けようとも、自ら生命を絶たずに一生を全うすることを是とするか、それとも何物にも自分・家柄・武家としての誇りを大切にし、それを踏みにじられるくらいなら死を選ぶことを是とするか。
同じような状況下に陥った時、自分はそれが出来るかどうか、どんな選択をするか、問われているような気がしてなりません。

そんな、会津の頑固なまでの貫き通す意思を教育する現場が、日新館なのでしょう。

「ならぬことはならぬ」

頑ななまでに、会津に生まれ育った少年少女たちに植え付けられた『什の掟』。悪いことは如何なる理由があろうとも、理屈抜きで悪いことである。それをきちんと、頭に、心に、身体に刻み込むことが、会津の武士の成すべきことである。
強固な教育理念である反面、選択の自由が利かないところがあるようにも感じるこの掟。もし、西郷頼母の家族にも、そして若くして自刃の道を選んだ白虎隊にも、生きるための、最善を尽くすための『選択の自由』というものがもしあったら。『もし』や『たら・れば』等を歴史に持ち込むこと自体がナンセンスであることは承知の上であるのは申せ、どこか、そういった思いを馳せずにはいられないのです。

少なくとも。
現代を生きる私たち。幸せに生きるために必要な、最善を尽くすための『努力』と『選択』の道を、見失わずにいきたいものです。



若松城 (Aizuwakamatsu Castle) 會津藩校日新館 (Nisshinkan (School of Aizu))
View Larger Map View Larger Map

0 件のコメント:

コメントを投稿