2012/04/29

[Travel Writing] 東北桜紀行 - 宮城編

宮城県 涌谷城と船岡城。当初はどちらも、NHK大河ドラマ『樅ノ木は残った』の題材である『伊達騒動』の舞台とは、思いもよりませんでした。

横手城の桜 - 一横手城の桜 - 二

白石川堤の桜船岡城址公園からの眺め


早朝、空は雲で覆われていたものの、その後時間が経つにつれて雲は取れてゆき、絶好の花見日和に。涌谷城は満開を迎えていましたが、仙台より南にある、船岡城址公園、並びに白石川堤は、既に多くが散ってしまっていた状態でした。その分、堤と川を覆うかのような桜吹雪は見事で、桜吹雪を撮影するためだけに、わざとフラッシュを焚いてしまいましたが。^^;

涌谷城の城山公園にある天守閣は、現存するものではなく、資料館として新たに建造されたものです。しかし、東日本大震災の影響で、博物館は、1年を経た時ですらも閉鎖されたまま… 周囲をロープで張り巡らせ、誰も入れないようにしてありました。きっと、中の展示物も、大きな損害を受けているのでしょう。
折角、見事な桜を咲かせている涌谷城。早く、資料館の中の復旧も進み、外の公園だけでなく、中も、人でいっぱいになることを願っています。


白石川堤は、日本さくら名所100選にも選ばれたところで、『一目千本桜』の名の通り、白石川の堤の両岸に植えられた桜は、一体どこまで続くのか、本当に壮観な景色を作っていたように思います。満開の桜であれば、それはそれで素晴らしいと思うのですが、それに負けないくらい、桜吹雪が川全体を覆っているかのようでした。
白石川堤の桜は、船岡駅から大河原駅まで、約4km続いています。そのため、親子連れやカップル、友人通しが、桜のトンネルを抜けながら、今年の春の役目を今しも全うする桜を見て歩いていました。感慨深いものがあるのでしょうね…

船岡駅から歩いて約10分のところに、船岡城址公園があります。白石川堤と同じように、園内の桜はだいぶ散っていたものがおおくありました。どうやら今年の東北の桜は、咲くまでが遅いのに、咲き始めたら一気に花開き、そして散るのも早い傾向にあるようですね。
その分、船岡平和観世音までの道のりの桜は、まだ見ごろを迎えていました。少し高台にあるのが、せめてもの救いだったのではないかと思います。その代り、急な坂道を登っていく必要がありますけれど。 ^^; ケーブルカーがあるのですが、それに乗るまでに時間がかかること、足で登る時間とそう大きな隔たりがないことから、足で登ることに決めた次第です。

丁度、ケーブルカーの乗り場のところに、展望台があり、そこから、俯瞰的に白石川堤を眺めることが出来ますが、まさにその展望台に、残された樅ノ木があったのです。
展望台にポツンと佇む樅ノ木。何百年という時を超えて、今もなお、私たちを見続けている樅ノ木。彼らには、私たち人間は、どのように写るのか…

2012/04/28

[Travel Writing] 東北桜紀行 - 福島編 Vol.2

 三春町には、約10,000本の桜があるそうですが、そのうちの3,000本は、三春ダム脇のさくらの公園にあるそうです。

三春ダムと桜

眼下に見える、三春ダムとさくら湖をピンク色に染める桜。三春町には、滝桜を始め様々な桜の名所がそこかしこに存在し、それらは、さくら湖をぐるっと囲むかのように点在しています。流石に今回は徒歩でしたので、全てを見て回るのは無理でしたが… ^^; さらに今回は、福島だけでなく東北(特に太平洋側)の桜を回ろうと考えていましたので、次の機会は、三春町の桜だけに絞り、自転車等で悠々気ままに回ろうかな、と思っています。

なんて考えながら歩き続けると、容赦無く照りつける太陽の光に当てられて、4月だというのに暑い! 半袖でも大丈夫なくらいです。冬の厳しい寒さは何だったのか…

歩き続け、消耗した体力を回復することと、三春ダムのことを知るために、三春ダム資料館へ。三春ダムの計画から完成に至るまでの行程や、ダム周辺の自然・野鳥、ダムの仕組みについて、分かりやすく展示されています。どちらかというと、親子連れ向けかもしれません。
その中でもやはり目を見張ったのが、ダム建設のために湖底に沈んだ集落のこと。生活を豊かにするための礎とは言え、自分が住み、慣れ親しんだ土地が、半永久的に水の底になってしまうので、さぞかし辛いものがあるのでしょう。しかし、そんな礎があるからこそ、今の私たちの暮らしがある。良しにつけ悪しにつけ。僕たちはそれをきちんと知り、その後の選択に活用する必要があるのかもしれません。


南湖公園の桜翠楽園

福島の旅は、三春町から少し南下して、白河市の南湖公園へ。
公園の大部分を湖が占め、その北側は日本庭園が鎮座する公園。湖の周囲は、桜の他に松が植えられており、さながら日本庭園のよう。
と思ったら、南湖公園は、(庶民が楽しめる上での)日本最古の公園だそうですね。今では主に釣客が多く訪れる公園となっているようです。


正直なところ、福島の桜はまだまだ堪能し尽くせていないと考えていますが、何より思ったのが、福島の人たちが、想像していたより、普通に、元気に過ごしていること。震災の悲惨さを払しょくできるとは思っていないけれど、それでも、『普通に』『日常のままに』生活していることが、ありありと垣間見ることが出来ました。
そしてそれを見て、「ああ、これはもう大丈夫だ」と思いました。それは、別に支援の手を断ち切ってもいい、ということではありません。福島の人たちは、たとえ被災していなくても、立ち入り制限区間外であっても、悲壮感を漂わせていると勝手に想像していましたから。でも、福島の人たちは、僕たちが思う以上に、強く、逞しい。それを知っただけでも、僕のこの旅は、十分だったように思います。

[Travel Writing] 東北桜紀行 - 福島編 Vol.1

長年の夢の一つが、ようやく叶った瞬間です。

三春滝桜 - 一三春滝桜 - 二

福島県 三春町。満開の三春滝桜。ついにその姿をこの目で確かめることが出来ました。

2011年3月11日。千年に一度とも言われる巨大地震が、東北から関東を襲いました。道路や鉄道が寸断され移動も思うようにならず、あまつさえ原子力発電所の事故により、一部の市町村で立ち入り制限がなされました。
我先に、もしくは政府・自治体の誘導のままに、人々は避難していく。しかし、植物たちは、物言う口も、歩く足もありません。ただじっと、その境遇のままに行き、そして、花を咲かせます。淡々と、黙々と。
勿論、三春滝桜は、震災が起こる前から注目していましたが、皮肉にも、今回の震災を通して、より一層、この目に焼き付きたいと思った次第です。

ゴールデン・ウィーク初日、ということもあるからか、既に滝桜周辺は5km以上の渋滞! 皆さんよほど、この桜を目にしたかったんでしょうね。早朝7~8時台であるにも関わらず、既に桜を取り囲むように、大勢の方で賑わっていました。
樹齢1000年、国の天然記念物にも指定されている桜。日本人の根底に繋がるものと、そして復興の導にもなる桜。震災が起こった後も続く艱難辛苦、そんな中だからこそ、目の前に咲き誇る美しさを、きちんとこの目に焼き付ける必要があるのかもしれません。


仮設住宅から臨む、満開の桜と鯉のぼり

僕は三春駅から三春滝桜への道のりを歩いて行きましたが、その途中の大滝根川の橋のところで、鯉のぼりを発見し、特に何か名のある場所というわけではないけれど、こういう穏やかな春を感じられるところもいいかも、と思い、行ってみたわけです。
その景色を見た時は知らなかったのです。その場所が、仮設住宅になっていることを。

旧中郷小学校応急仮設住宅。ここは、葛尾村から避難してきた人たちが生活しているところ。1か所に全て避難して暮らしているのではなく、三春ダムのさくら湖を囲むように、散り散りに暮らしているのだそうです。
しかし、そこに暮らしている方々は、震災から1年が経過していたものの、その表情は、『いつもの生活』をしているような穏やかな表情が垣間見え、悲観の空気はまるで見えない。散歩中のお婆さんと出会い、満開の桜と穏やかな晴天の下で、他愛の無い話をしながら、少し歩きました。矍鑠としていて、おしゃべり好きで、葛尾村のことも、少し教えてもらいました。恥ずかしい話ですが、これも皮肉なのですけれど、この震災が無ければ、決して、単に地図上に存在する一市町村、とでしか感じなかったと思います。彼らが住んだ、彼らの記憶が刻まれている村を、この目で見てみたい。そういう渇望に駆られた瞬間でもあります。

また、仮設住宅地内を元気に走り回る、小学生とも会い、話をしました。カメラを引っ提げていましたから、カメラマンだと思ったのでしょう。^^; 剣道の話、算数の話、漢字の話。今の小学生らしい悩みを織り交ぜながら。
「また、ここに来る?」その言葉を耳にした時、僕はドキッとしました。ちょうど算数や漢字の話をしていた時のこと。僕の悪い癖。「少し勉強見ようか?」。それは、今日この日の時間を少し使って、彼に少し手解きする程度で言ったはず言葉。安易な約束。でもこの子にとっては、やはりどこか寂しいのだ。ご両親も、今の生活を支えるために、必死に働いているに違いない。遊ぶ相手は勿論、勉強をちゃんと見てもらえる人が欲しかったに違いありません。
この言葉を口にした時、僕は心底後悔しました。何より、この子に寂しい思いをさせてしまうから。曖昧な答えしか出せない自分が大嫌いでした。だからこそ、その子にまた会うことがあれば、しっかりと支えたい。自分に出来ることはほんの一握りでしかないけれど、その子が自分の両の足でしっかり立てるよう、自分に出来ることをしたい。何より、いかなる約束も守れるような、そんな度量を身に着けたい。
その子と別れた後、僕は少し泣きました。そんな自分の不甲斐無さと、あの子達を想う気持ちで。もっと強くなりたい。そんな気持ちが心から湧き出た瞬間でもありました。

当初は、三春滝桜を見る、それがこの旅の目的の一つ。しかし、旅先で思わぬ渇望に芽生えることもあります。今回は、それが自分にとって、大いなる価値があったと思います。



三春滝桜 (Miharu Takizakura)
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2012/04/21

[Travel Writing] 天下第一の桜

いくつかある、いつかこの目で見てみたい、まるで恋い焦がれたかのように、吸い寄せられたかのように訪れた桜の名所。それが、高遠城址公園である。『天下第一の桜』の銘に相応しく、公園内は、見渡す限り、桜で覆い尽くされていた。

問屋門と桜雲橋中央アルプス遠望

実際のところは、全体からすれば大体6割程度だろう。冬の寒波による桜の開花の遅れは、高地ほどその影響を受けやすいと見える。それでも、連日の暖かさが、高遠の桜の蕾を次々に綻ばせ、場所によっては、嘗ての栄華を忍ばせる名跡を、桜色に包んでいる。
しかも、御誂え向きのいい天気だった。長野の高地の澄んだ空気が、一層気持ちのいい雰囲気を醸し出してくれている。遥か遠くには、中央アルプスがその偉大な様相を表していた。また、山々には冠雪が残っている。やがてこの地も、暖かくなり、雪が融け、高山植物の芽も生え始め、豊かな緑の地となるのだろう。季節は確実に巡っている。そう感じさせる景色である。

高遠城址へのアクセスは、あまり良くはない。行きは、中央本線 茅野駅から(高遠駅(バス停)への路線バス)だが、朝・夕の2往復しかない。最も本数があるアクセスでは、辰野駅で飯田線に乗り換え、伊那市駅で降りる。そこからは路線バスだ。だが、路線バスも本数が少ないため、乗り継ぎが合わない場合もある。その他、新宿駅から高速バスが、約1時間に1本のペースで出ている。価格的にも、そちらがいいのかもしれない。


桜と高遠ダム高遠湖遠望

高遠城址公園から歩いて5分程度のところに、高遠ダムがある。
高遠城址公園の桜の方が有名なため、あまり注目されていない感があるが、それでも、高遠ダム周囲の桜も、とても美しいものだった。ただし、高遠城址公園のように、密集して植えられているわけではないので、まだ咲いていない桜もちらほら見られ、高遠城址公園よりかはそれが目立って見えていた。だが、春の高遠湖を桜色に包むには十分に違いない。

『日本第一の桜』は、何も城址公園を包むだけの桜ではない。高遠の街を覆うような桜全てがそれに該当すると言えよう。街全体の桜を堪能するため、城址公園を中心に、1日の時間をかけて散策するのもいいかもしれない。



高遠城址公園 (Takato Castle Park)
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2012/04/18

[Review] マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

マーガレット・サッチャー [Margaret Hilda Thatcher, Baroness Thatcher]

イギリス史上初の、女性保守党党首、英国首相(在任:1979年 - 1990年)。1992年からは貴族院議員。
保守的かつ強硬なその性格から 『鉄の女』と揶揄される。強いリーダーシップにより数々の政策を断行する。イギリス経済の復活、小さな政府への転換を公約に掲げ、それによる成果は出ているものの、支持率が大幅に低迷する時期を迎える。そんな時に勃発したフォークランド紛争。多数の犠牲を払ったもののフォークランドを奪還した実績は、その後の根強い人気の元となる。
しかし、保守的かつ急進的な改革を断行する強い姿勢は長くはもたず、1990年の党首選で、自ら英国首相、保守党党首を辞職する意向を表明した。

参考:Wikipedia



例えオックスフォードに合格するほどの頭脳の持ち主であったとしても、当時からイギリス社会は、階級社会によって人への差別意識が強かった。加えて、『女性』であるということ。表向きは紳士の国として女性を立てるのが男の務めであったとしても、それは家庭の中で、もしくは饗宴の中での話。国を率いる、という立場では全く別の話になってしまうのだ。
そんな中、たった一人、国会と言う荒ぶる牙城に乗り込む、全身を青に着込んだうら若き女性。正当な選挙結果でその席を勝ち得たものの、周囲の視線は皆、

女なんかに何が出来る

強くならなければならない。女だからといって、見くびられないように。そのために、どんな犠牲を払おうと。だって、夫デニスとの結婚も、家庭的な女に収まらなくてもいいことを条件に結婚したのだから。

男に見くびられないため、ひいては他者に見くびられないため、あたかも血も涙もありはしないと思わんばかりの政治手腕。その口調こそ、まだ女性としての柔和な感じは残っているものの、日本の政治家で例えれば、石原慎太郎か橋下徹、東京・大阪の両知事を彷彿させる。
マーガレット・サッチャーと言えば、教育科学相に就任していたことから、教育改革に重点を置いていた印象があったが、本作ではそれが全くと言っていいほど見られない。むしろ、続出する失業者や財政危機、領土問題、果てはロンドンの環境や物価の上昇など、多数の深刻な問題を一手に担う、不屈の闘士という印象を受ける。

彼女としては、それは確かに国のためであり、それについては嘘を付いていないと思う。が、最後まで鑑賞すれば、やはり彼女の政策断行の姿勢は、自分のためなのだ。社会の中核は常に男によって牛耳られている。その男も、既得権益のぬるま湯に浸かり果てて骨抜き状態に。私がやらねばならぬ。そうでなければ、私という個人が確立しえないのだから。そう言わんばかりの気迫。
それが故に、夫デニスを失った本当の喪失感を、見誤ってしまったのかもしれない。子供たちも大きくなり、それぞれの道を歩んでいるけれど、どこか遠い存在に見えるのは、そんな母の背中を見て育ったから。強固な意志を持った人は、どうしても、後には引けないものがあるのだ。

彼女は孤独ではない。沢山の人に支えられてきた。けれど、終ぞ彼女は、「自分が孤独でない」ことに気付けなかった。それはそれで、別の視点からすれば幸せなのかもしれない。けれどそれは自分が決めることであって、他人が決めることではない。
現在、彼女は認知症により記憶力が減退していると聞く。過去の出来事を明確に思い出せなくても、彼女にとって過去は幸せだったのか、それは、彼女のみぞ知ることなのだから。

2012/04/09

[Travel Writing] 西日本桜紀行 - 静岡編

西日本桜旅、最終章は、静岡県 駿府城です。

清州城を見て、犬山城を見て… という旅程の後で、静岡に向かい駿府城を見る、というのですから、今回も今回とて、無茶苦茶な旅程を組んでいることが良く分かります。^^;
清州城から犬山城は、一旦名古屋に向かい、犬山行きに乗り換えます、1時間近く要します。駿府城に行くには、少なくとも名古屋を昼くらいに出なければなりません。もう、他の人からすれば呆れるくらいの強行軍です。しかも、犬山から静岡へ向かうには、新幹線を乗り継ぐ必要があるのですが、地下にある名鉄のホームから新幹線まで、普通に歩き、自由席をチケットを買うためには、最低でも10分くらいは必要です。それを4分で済ませるという、普通に旅行を楽しむ行動から懸け離れた荒業をやってしまいまして…

いや、もうやらないですけどね。如何に時間を最大限に使うためとはいえ、ちょっと現実的なやり方ではありませんので…


駿府城公園と桜徳川家康像

元々は、14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、今川館が築かれ、今川領国支配の中心地となっていた場所。しかしその後、甲斐の武田氏と同盟関係にあったものの解消され、武田氏の駿河侵攻により、城館は失われてしまいます。
武田氏の支配拠点の一つになるものの、1582年の織田・徳川勢力により武田氏は滅亡、甲斐・駿河の武田遺領は、三河の徳川家康が領有となり、その後、徳川家康の政治拠点となります。征夷大将軍を、二代・秀忠に譲った後も、単なる隠居生活では終わらせず、二重実権構成として辣腕をふるっていたのは有名ですね。

家康亡き後、徳川家光の弟、忠長が城主となりますが、その忠長は家光によって改易と蟄居を命じられ、後に自刃。その後、1635年の火災によって消失、御殿・櫓・城門等が再建されるが、城主がいないため天守は再建されなかったそうです。

ということをロクに調べもせずに訪ねたため、かの家康公のそれは壮麗な天守があるのだろう、と思っていたら、公園として整備されていたという… orz
いや、勿論、今は戦国ではありませんから、憩いの場として整備されているのは喜ばしいことではあるのですがね。ちょっと、複雑な感情が入り混じっているのは否めません… ^^;

そして、今年の桜は咲き始めたら散ってしまう速度が、いつになく早く、駿府城公園の桜も、大部分が散っておりました。暖かい地域ですからやむを得ないとはいえ、鹿児島が見頃でしたのでもしかしたら、と期待をしておりましたが…
桜は、特に遠方の桜を見物するのは本当に難しい。
実は、今回の旅で、愛知編・静岡編に行く前に、一旦、京都に降り立っていたのですが、目ぼしい桜の名所は、ほとんど咲いておらず… (醍醐寺で間もなく満開、というくらいです) こういったことは、常にアンテナを張り巡らせて、リアルタイムの情報収集をするのが必要ですね。旅なのに何でこんなに気が抜けないのか、と… ^^;



駿府城 (Sunpu Castle)
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[Travel Writing] 西日本桜紀行 - 愛知編 Vol.2

前夜の名古屋城から始まり、桜旅の愛知編は、今日も城巡りから始まります。

清洲城と桜清洲城からの風景

新幹線に乗って、名古屋近辺を走っているときに見える天守。あれが何だろうといつも気になっていたのですが、この城が、言わば戦国の中心舞台、三英傑も(時期は違えど)この城で城主として過ごしていたという、有名な清洲城ですね。
尾張国の守護所として栄え、京鎌倉往還と伊勢街道が合流し中山道にも連絡する交通の要所として重視されたものの、徳川家康によって、清須から名古屋への遷府が指令されると、1610年より清洲城下町は名古屋城下に移転されます。清須城も名古屋城築城の際の資材として利用され、1613年名古屋城の完成と城下町の移転が完了したことにより廃城となるという、数奇な運命を辿ります。
しかし、信長が天下取りの布石となる桶狭間の戦いの際も、出陣は清洲城から、というところから始まり、そこから瞬く間に急成長し、数々の大名を従わせる。豊臣秀吉、徳川家康も、その後に続く。清洲城は、まさに、天下取りのための夢舞台の始まりでもあったんですね。戦国の浪漫が、この城に凝縮されている、というわけです。しかし、歴史は常に勝者によって書き換わるもの。夢舞台の始まりと言えど、数奇で残酷な運命を辿ります。世が世なら、この清洲城こそ、安土城・大阪城・江戸城を凌駕するくらいの、栄華を極めた城になっていたのかもしれませんね…

五条川を渡り、対岸には、西に清洲城を眺めるように、清洲公園があります。そこも桜の名所になっており、清洲城の桜や、五条川岸の桜と呼応するように、見事な桜が咲いています。また、公園には、かつての清洲城城主、織田信長の像が立てられており、往年の栄華が忍ばれます。

五条川と桜清洲公園の織田信長像


清洲城を後にし、向かった先は犬山城へ。ご存じのとおり、現存する天守で、国宝の1つでもあり、また桜の名所でもあります。

犬山城と桜天守閣からの風景

木曽川沿いに建てられた犬山城。そのため、天守閣からの眺めも絶景で、写真は少々曇っておりますが、太陽が出ていたら、陽の光に照らされた木曽川の水面が、キラキラと光って、素晴らしい絶景を醸し出していたかもしれません。^^
現在の姿は、1617年頃に、当時の城主成瀬正成が改修したもの。以来、犬山城は、城主が変わることなく、成瀬氏が治めておりまして、しかもそれは、廃藩置県を経て、第二次世界大戦が終わった後でも続くという、日本の城郭としては、つい最近まで、個人の所有として、城主が存在していたわけなんですね。それを知った時はビックリしました!
現在は、その城主の方が財団法人を設立し、財団が城を所有する、という形をとっています。世が世なら、今でも続く殿方、姫がおわす城、ということになっていたんですね。

犬山城は、その周辺も桜の名所として知られており、郷瀬川が流れる城見歩道にも、たくさんの桜が植えられています。一方で、残念なことに、犬山城から城下町通りを通った後、犬山駅へ向かう曲がり角は、シャッター街に。かつては、大いに賑わいを見せていたのでしょうけれど、寂れてしまって、見た目にもちょっと寂しく感じてしまいました。
駅周辺に出来ている、大きなショッピングモール。交通の便としても、名古屋に近い。それが一つの要素となっているのかもしれません。

逆らえぬ時代の流れ。そんな中でも、淡々と、城は見続けていたのかもしれませんね…



清洲城 (Kiyosu Castle) 犬山城 (Inuyama Castle)
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2012/04/08

[Travel Writing] 西日本桜紀行 - 愛知編 Vol.1

西日本桜旅、その大部分が、城と桜のコンビネーションがほとんどですが、愛知編に関しては、その全てが城とのコンビネーションに費やしているのかも知れません。何といっても、有名どころの天守はことごとくいったはずですから。^^;

広島から一路名古屋へ向かい、ホテルに到着したのが、前日(4月8日)の18:30。その時は、ただ何となくあるだろうなと思っていたものの、詳細を全く掴んでいなかったのです。名古屋城のライトアップについて。何気なしに名古屋城のHPを見たら、やっぱりライトアップは開催されていたな~… って、終了時刻が20:00! これは急がねば!
財布と携帯電話とカメラさえあれば何とかなるだろ的に、諸々の用意もそこそこに、名古屋城へと向かいました。

夜桜と名古屋城 - 一夜桜と名古屋城 - 二

夜桜もさることながら、名古屋城の桜をしっかりと両の眼に焼き付けたのは、今回が初めてかもしれません。天守を囲うように、四方に桜が植えられており、恐らく、名古屋城を俯瞰的に見れば、桜の海に浮かぶ城のように見えるかもしれません。^^
現在、本丸の復元工事が行われているため、名古屋城の入り口付近は、工事中で道幅がやや狭くなっています。もし、ゆっくりと撮影するのであれば、天守の北側、もしくは西側からがお勧め。上図の左側の写真は、北側から撮影したもののです。天守がよく見渡せるように、広場の真ん中はスペースが空いているため、名古屋城をくっきり撮りつつ、桜もワンポイントとして入れるには、丁度いいかもしれません。
むしろ西側は、撮影スポットの激戦区でしょうね… やはり、多くのカメラマンさんでごっただえしていました。^^; 加えて、昼間は西日が当たるため、夕陽に照らされた名古屋城を一目見るためでもあるんでしょうね…

ちなみに、通常の名古屋城は16:30まで(入場は16:00まで)ですが、桜の季節のように、夜間開放時は、19:30まで中を見学することが出来るそうです(入場は19:20まで)。こういう季節なればこそ、夜の城を楽しめる、というもの。滅多にない機会ですね(今回はあまりにも時間が足りませんでしたが…)。



名古屋城 (Nagoya Castle)
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[Travel Writing] 西日本桜紀行 - 広島編 Vol.2

実は、広島にはもう一つ、桜の時期に行きたかったところがあり、それが福山城です。


調べたところによると、福山城は1622年に完成した、新規の築城としては近世城郭で最も新しい城で、備後福山藩の藩庁かつ藩主の居城なのだとか。現存する建築物は、重要文化財として指定されている、伏見櫓と筋鉄御門の二点。天守も、1945年まで残っていたのですが、空襲により焼失。現在の天守は、1960年に復元されたものだそうです。

日本100名城の1つであり、また日曜日ということもあって、天守を囲うように、たくさんの花見客で賑わい、所狭しと、シートを敷いては、お弁当を食べたり、お酒を飲んだりと賑わっていました。名古屋城や大阪城、熊本城に比べれば、確かに規模は小さいものの、地元だからこその愛着を持って、思い思いに城の桜を楽しむ姿がちらほら見受けられます。カラオケをしたり、バドミントンをしたり… でも、もちょっと節度を持って下さいね。^^;


さらに福山城の敷地内を分け入って、日本庭園と神社へ。小規模な神社がちらほら。

福寿会館備後護国神社

城の敷地の北側にある、日本庭園と神社たち。しかしこちらの方に行くと、人もまばら。天守周りの賑わいが嘘のように静寂です。聞こえるのは、遠くの方で遊んでいる子供たちの声や自動車の音くらい。勿論、このくらい静かな方がいい気もしますが、何となく勿体ない気も… ^^;

今回、福山の旅は、福山城のみですが、実際のところは、歴史的な建造物・文化財は勿論なんですけれど、どちらかというと自然の景勝を堪能するところが多いのが特徴かもしれません。
例えば、『鞆の浦』。国立公園法に基づいて制定された国立公園『瀬戸内海国立公園』の一端となる景勝地で、大小さまざまな潮の道が行き交うところから、様々な様相を見せる自然界を形成していることは勿論のこと、古来より漁港としても盛んであり、漁港や港町としても有名なところですね。
人の作った文化財の壮麗さは、貴族や軍事的なところに多く見られるのは事実ではありますが、人々の生活の素朴さもまた、連綿と紡いできた歴史の中の一つ。そういったところも決して見落とさず見逃さず、しっかりとこの両の眼に刻み込んでいきたいと思います。



福山城 (Fukuyama Castle)
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[Travel Writing] 西日本桜紀行 - 広島編 Vol.1

九州新幹線に乗り、鹿児島中央から一路広島へ。到着した時には、既に陽も暮れ、空も色も徐々に暗くなろうとした時でした。
1日目の宿泊先は、世界遺産・厳島神社を擁する宮島へ。当初、宮島行きのフェリーは、夕方くらいで全て終わるものと思っていましたが、時刻表を見ると、割と早朝から深夜まで運行しているようで。まぁ、そうですよね。島にいる学生や会社員が、宮島口から広島に出て、通学・通勤しているのですから… ^^;

ホテルに到着し、クロークの人に、宮島の桜の開花状況を尋ねたところ、丁度満開と言うお答えが! これは期待できそう。ですが、日程的な事情もあり、宮島宿泊は土曜~日曜にかけて。折しも翌日の日曜日は晴れ。絶好の花見日和。宮島も、いつになく観光客でごった返しそうですね~… これは、事前に相当の計画を練らなければならないのではないかと思いました。

夜の厳島神社 - 一夜の厳島神社 - 二

そうは言っても、既に宿泊手続きは済ませたわけですし、混雑する前に出来る限りの作戦・下見は練ろうと思った次第です。というわけで、まずは夜の宮島(主に厳島神社近辺)散策。桜の季節に合わせ、大鳥居、そして五重塔がライトアップされています。
三脚を始め、固定するものを一切持っていない僕。納得する夜景を撮影するために、周囲の痛い視線に晒されながら、色々な角度、姿勢で何度もトライ! その結果が↑の写真でございます… ^^;
夜景の撮影は僕にとっては未だ未知の世界であり、同時に苦手としている領域でもあります。変わらず、撮影を続け、精進していく必要があります。


ホテルで一夜が明け、朝の5時。厳島神社を中心に朝の宮島を散策。日曜とは言え、早朝の宮島はほとんどと言っていいほど人がいません。だからこそなのです。絶好の撮影ポイントを見つけるために活動するのは! 混んでる時に、自分の撮りたい撮影スポットを探すのは、余計に時間がかかります。自由に動くことが出来る今だからこそ有効活用せねばならないのです! まぁ、普通に観光する人の行動パターンじゃないですよね… ^^;

その成果がこちら↓

多宝塔から厳島神社を臨む暁の厳島神社と満月

宮島観光案内HPにも掲載されているような、咲き乱れる桜と、そこから臨む厳島神社、そして瀬戸内海です。多宝塔から山の斜面に上る、『勝山城跡』の石碑が建てられているところから撮影しました。多宝塔を中心に、瀬戸内海が一望できます! そしして、海上の標ともなる大鳥居と、その脇を通るフェリー。典型的ではありますが、宮島・厳島神社そのもの! という感じの一枚が撮れた、と思えた一瞬でした。
右側は、これは完全に偶然なのですが、沈みゆく満月と厳島神社の大鳥居です。丁度干潮時期でしたので、海面にいい具合に映る場所を探すのにちょっと苦労しましたが、これも、自分が納得のいく場所を探すことが出来たと思います。


厳島神社 - 一厳島神社 - 二

大聖院 - 一大聖院 - 二

時間を追うごとに、徐々に観光客で賑わってくる宮島。ですので、厳島神社をはじめとする社寺廻りは、早朝がお勧め。厳島神社は、朝6:30から開門します。但し、入門場所が1か所しかありませんので、時間が経過するにつれて混雑し、門に行列が出来るのは必至です。ご注意を…
このほか、少し山裾を登ったところの、大聖院を訪れました。宮島で最古の歴史を持つ寺院であり、厳島神社の別当寺として祭祀を司り、社僧を統括してきた寺院という、歴史ある寺院だそうです。こちらも、1000年以上の歴史がある、大変古く、また、数々の文化財も擁する寺院でもあります。2006年11月3日、宮島・弥山の開創1200年を記念してダライ・ラマ14世による弥勒菩薩の開眼法要が営まれてもいるのだとか。晴れていれば、境内から見下ろす瀬戸内海を眺めるのもいいですね…

宮島を後にしたのは、丁度正午ごろ。宮島口に向かうフェリーから、これから宮島へと向かうフェリーとすれ違ったのですが、甲板に立ち客で溢れるほどの混雑ぶり! やっぱり、ゆっくり宮島を観光するには、朝早くが一番なのですね… ^^;



厳島神社 (Itsukushima Shrine)
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2012/04/07

[Travel Writing] 西日本桜紀行 - 鹿児島編

梅の開花が最大で1ヶ月も遅れたというのに、あれよあれよと暖かくなって、桜の開花は平年並み。しかも昨年よりも2~3日早め、という情報が。それを見越して、少し遅めの桜紀行を設定したのに、もしかしたら散ってしまうのではないか、と、半ば戦々恐々としておりました。出発前から、出鼻を挫かれる羽目になるのではないか、と… ^^;
そんなわけで、ドキドキしながら鹿児島空港に到着。一路、最初の目的地、仙巌園へ。

仙巌園より桜島を臨む仙巌園の春

何とか間に合った、というところでしょうか。少し、桜吹雪が舞い散っているところが見られるものの、全体として見頃を迎えていた、鹿児島の桜。本数としてはそれほど多くなく、全体が桜色に覆われている、というわけではありませんが、春の仙巌園の庭園を彩る上では、申し分は全くありません。
しかし、やはり南国だからなのか分かりませんが、雲がほとんどない晴天の空を歩いていると、どんどん気温が高くなり、暑くなっていきまして… ^^; 寒暖の差が激しいですので、ブルゾンを羽織っていたのですが、日中はほぼ脱ぐ羽目になりました。
まぁ、それも旅の醍醐味、ということで。何せ飛行機による移動は、経費を安く抑えるためには、最低でも28日以前には予約しなければならない。その時、行く当日が絶好の晴れ日和だとは誰も分かりませんから。後は祈るばかりなのです。だからこそ、多少の暑さは許容範囲内。むしろ、晴天の下、清々しい空気の中で桜見物できることに、感謝します。

仙巌園は、ご存じの通り、鹿児島市内の観光スポットの一つ、薩摩藩主島津氏の別邸。鹿児島湾を池に見立てて造園され、晴れた日には、雄大な桜島が見渡せます。勿論、歴代の島津氏の邸宅『磯御殿』の中も見させていただきました。島津氏ゆかりの品々が、往年の江戸の風情を今に伝えています。
幕末の頃になると、第28代当主島津斉彬がこの敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業に着手。仙巌園の隣の尚古集成館では、近代工業の軌跡の展示、兵器を始め、薩摩切子のガラス細工も展示されており、薩摩が、他の藩より先んじて、近代化の道を選んだ様相が伺えます。


仙巌園を後にし、鹿児島市内へ。鹿児島城と、高見橋を基点とする甲突川の桜並木を散策しました。

鹿児島市内と桜島遠望鹿児島城の桜

天璋院像西郷隆盛像

川沿いの桜並木 - 一川沿いの桜並木 - 二

仙巌園の桜と呼応するかのように、鹿児島市内の各名所でも、桜が満開に。鹿児島城は見事でしたね。『歴史資料センター黎明館』の敷地内が、そのまま桜の公園のようになっていますので、敷物を敷くスペースはないものの、ベンチに座り、友人と一緒に話をしたり、思い思いに桜を愛でながら思いに耽っている方がいらっしゃいました。
また、仙巌園から臨む桜島も勿論ですが、鹿児島城の城山公園展望台から臨む桜島もまた、息を呑むほどの絶景ですね~… 鹿児島市内の街並みのコントラストも相成り、素晴らしいの一言です。

またご存じの通り、鹿児島は、幕末から明治にかけて、位の高低に関わらず多くのを輩出している場所でもあります。それに伴い、市内にはあちこちで、偉人たちの像や石碑を多く見ることが出来ます。歴史的解釈は、後世の歴史研究家達によって様々であるため、見方によっては、低い評価の偉人たちもいるかもしれませんが、それぞれがそれぞれの思いを馳せて、迫りくる日本の危機のために、己の身を以て実行した、という事実には変わりありません。その上に、私たちが生き、そして連綿と歴史が紡がれていくのですから。
そんな偉人たちの足跡を訪ねながら、鹿児島を探訪するのも、味わい深い旅が出来るかもしれませんね。



仙巌園 (Sengan-en) 鹿児島城(鶴丸城) (Kagoshima Castle)
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