2014/09/29

[Travel Writing] 初秋の関西の旅 - 京都編

何かの旅番組だったと思うのですけれど、そこで伊根の街が紹介されていて、その独特の街並みに一目惚れ、是非とも行ってみたいと思い、この旅を計画しました。 ←いつものパターン

それにしても。
京都駅を5:30に出て、電車に乗って宮津駅に到着したのが8:30。そこからバスに乗り換えて伊根に到着したのが9:30。約4時間の旅。と、遠い… (´д`)
ちなみに車でも約3時間。天橋立よりさらに北にあるのは知っていましたが、まさかそれ程までに時間を要するとは… (´д`) 翌日の予定や宿泊のことを考えると、滞在時間は6時間くらい。伊根の街並みを散策するだけであればそれでも十分かと思いますが、さらに近隣のスポットへ足を伸ばすとなると、全く以て足りません。ですので、そういったスポットを含めて、ゆっくりと散策するのであれば、伊根で宿を取り、そこで一泊されることをお勧めします。

しかし、『伊根の舟屋群』だけであれば、極端な話、関西圏の方であれば日帰りでも十分堪能できます。流石に関東の空は無理があるでしょう。特に電車などで移動される方は、それこそ滞在時間は2~3時間程度になってしまうかもしれません。 (´∀`;)




昨日の飛鳥路に引き続き、この日も絶好の晴れ。しかも風もそれほど強くなく、終日穏やかな1日を過ごすことが出来ました。
何よりも驚いたのが、日本海側、ということもあるのでしょうけれど、海の透明度の高さ。伊根湾の底の浅さも手伝っているのかもしれません。それでも、この透き通るほどの水の青さは、目を見張るものがありました。単に舟屋群の建物を見て眺めるだけでなく、そこに生きる人たちが、如何に海を愛し、海と共に生活しているのかが分かります。

ちなみに舟屋群も、単に歴史的建造物として保存されているのではなく、ほとんどの家屋では今でも現役。普通に生活拠点として使用されていたり、家は別のところにあるものの、漁のための小舟のガレージとして使用されているところもあります。
多くのところで、舟屋と舟屋の間に狭い道があって(そのほとんどが車は通れないし駐車も出来ない)、そこを通ってガレージ側に入り、海側から舟屋群を見る景色もまた格別です。
勿論、観光遊覧船に乗って、海の上から見る、というのもありますね。様々な角度、様々な視点で、舟屋群の姿を見、そしてその歴史を垣間見る、というのもいいかもしれません。



そして、こんなにいい陽気であるからか、思い思いに穏やかな休日を楽しむ人もちらほら。釣りをしたり、絵を描いたり、あくせく動く回る僕とは大違いww
基本的に、ここは都会のように、色々なものが目まぐるしく変わるところではありませんから、そんなスローな環境を身体いっぱいに染み込ませて楽しむところだと思います。だからこそ、あまり日帰りは適さない、ゆったりのんびりと過ごすには、少なくとも1泊することは欠かせないところでしょうね。 ^^

漁業の街として、連綿と紡いでいった歴史と伝統、そしてそれらが生み出す長閑でのんびりとした雰囲気。それこそが、伊根で味わえる最大の魅力なのかもしれません。

2014/09/28

[Travel Writing] 初秋の関西の旅 - 奈良編

Google+で素晴らしい初秋の飛鳥路の写真の数々をアップしてくださる方がいて、それを見て旅情が募り、そして実際に現地に行くために行動を起こす… まぁいつものパターンでございますが、そんな自身の願いを叶えるべく、9月の終わり、遅い夏休みを取得して関西へ旅立ちました。
飛鳥路の旅の前日、その写真をアップしてくださる方とお会いし、見所をチェック。一通り教えてもらったのはいいのですが、飛鳥の南、高取町にある、日本100名城の一つ『高取城』に行きたい、と自己申告したことが、運命の分かれ道でした。もしこの選択をしなかったら、もう少し違った飛鳥路を堪能できたかもしれませんが…

実際、飛鳥路の観光ポイントは、自転車で1日で悠々と廻れるくらいのところに点在しているのだそうです。そこに『高取城』を加えると、飛鳥路でもいくつかは回れないかもしれないし、不完全燃焼になるかもしれない… そんなリスクを承知の上で、さらに欲張り全開の旅程を組んだのですから、旅が終了した時の疲労感たるや、押して知るべしでしょう。それでも、回りきれなかったところがあることの後悔もある、というのですから、いやはや、どうしようもありません… (´д`)



レンタサイクルには、普通のママチャリと電動アシスト、そしてロードバイクがあります。当初はロードバイクを借りる予定でしたが、それは飛鳥駅には置いておらず(石舞台古墳のステーションにはあるらしい)、その後の体力温存も兼ねて電動アシストを借りることに。
そしてまずは、他の場所など意にも介さずに、ひたすらまっすぐ高取城へ向かいました。

高取城への道のりは、思ったほど坂の傾斜が厳しい! 途中の壷阪寺までは、もしかしたらママチャリでも何とかいけると思います(それでも、壷阪寺に行くことだけを目的としていることが前提(多分))が、そこから先は、よほど鍛えていないと無理でしょう。途中、乗り慣れていると思われるロードバイクのライダーとすれ違いましたが、急こう配でやはり思うように前に進めないように思いました。午後を中心に飛鳥寺を見て回りますので、体力温存のために電動アシストを借りたのは正解だったと思います。
え? ロードバイクでの挑戦? ははは、それは、まぁ日を改めて… (´∀`;)

大分県竹田市の岡城でも思いましたが、何故こんな高いところに、これだけの素晴らしい石垣を築くことが出来るんだろう… と、感嘆せずにはいられませんでした。当時の建築技術の高さに驚かされるばかりです。木々が鬱蒼としていましたので、眼下が見づらかったのですが、高取城から臨む飛鳥の街並みも、さぞ美しいことでしょう。しかもこの時期は、ちょうど稲穂の実も黄金色に変わりつつある時期。まるで、天空から黄金色の海を見るかのような感じかもしれません。


高取城を降りて、飛鳥路を巡る前に壷阪寺へ。しかしこれがかなりの誤算。壷阪寺、結構境内が広い。そして見どころも多い! (゜д゜) 時間配分を間違えて、ついつい、長居してしまいました。いい意味でも、悪い意味でも。
何せ、当初は壷阪寺は通過点にすぎなかったのですから。やっぱり実際に足を運んでみないと、その場所の魅力と言うものは分からないし、語るに乏しいですねぇ。

ご存じのとおり、仏教は中国を経由してインドから日本へ伝わりました。この壷阪寺は、そんなインドとの国際交流を非常に密に行っている寺の一つ。それゆえ、境内にはインドゆかりの品々や、インド在住の彫刻家が寄贈した品物も数多く展示されています。今は、インド人の多くを占めるのがヒンドゥー教ですが、ヒンドゥー教は仏教にも密接に繋がる部分があります。もちろん、そのことを示す品々もあります。日本の仏教の寺なのに、まるで東南アジアの寺院に迷い込んだかのような、そんなエキゾチックな側面を見せるお寺です。

飛鳥路へ向かう前に腹ごしらえ。それと同じく、壺阪山駅界隈の古い街並みも散策。
古い町並みは、今では現代風の住宅に姿を変えているところがおおくあるものの、ところどころで、江戸から明治の情緒がほんのりと感じることが出来ます。


さぁ、そうこうしているうちに本当に時間が無くなってしまいました。
飛鳥路に来たのであれば、本来であれば石舞台古墳に行きたいところ。なのに今回の旅ではその主要スポットを素通り!! あんまりやらない… というか、普通はやらない。やはり見どころは押さえておきたいところ。なのに素通り。理由は時間が無いから。 (´;∀;`)
後で、事後報告を兼ねて、今回紹介していただいた方に話をしたら、「それは次もここにやってくる口実だよねっ (^o^)」とのこと。ああ、悟られてしまった気分… (´∀`;)

あ、でも飛鳥寺はちゃんと押えました!



今年は、例年になく秋の入りの時の気温の低下が早かったためか、彼岸花の咲くタイミングも早かったように思います。そのため、文字通り『暑さ寒さも彼岸まで』の時が一番の見頃。残暑が厳しい時には、9月末から10月の頭くらいに咲き誇っていた彼岸花も、9月末には多くが色褪せ、半分くらいが既に見頃を過ぎ、あとは朽ちていくのみの状態でした。
ただ、今回紹介してくださった方も、「朽ちゆく瞬間が一番美しいかもしれない」ということを仰っていました。確かに色は褪せていたものの、最後の最後まで、その焔のような赤色を発し続けている、というのは、生命の輝きを最後まで絶えず燃やし続ける、という意味にも繋がるのかもしれません。

今回は、ちょっとタイミングを逸したように思いますが、これはこれで素晴らしい体験だったと思います。今度は、ちゃんと見頃の時に、また訪れたいと思います。 ^^

2014/09/07

[Travel Writing] 初秋の北東北の旅 - 岩手編

弘前を後にして次の目的地である、岩手県久慈市へ。弘前から青森に出て、新幹線ではなく青い森鉄道に乗ってのんびり揺られながら八戸へ。八戸線に乗り換え、終点の久慈に到着し、そこで一泊。
ご存じのとおり、久慈市は2013年度上期の連続テレビ小説『あまちゃん』の舞台。社会現象にもなったこのドラマの人気は今も衰えることなく、観光客を久慈に引き込んでいます。ドラマでは、架空の市『北三陸市』となっており、随所で過疎化が進む地方都市の状況を描いていますが、実際にこの街に来てみると、そんなことはありません。久慈駅を中心に結構賑わってまっせ!
それでも、夜になれば昼の賑わいもかなり潜め、スナックのネオンがひっそりと輝いています。弘前からの移動は流石に疲れましたので、あまり散策もせずに、チェックインしたホテルのお勧めの居酒屋さんで一杯。なんとその居酒屋さんの従業員の方、『あまちゃん』のエキストラとして出演されていたんですって。既に放送終了してから大分時間も経ちますが、今も興奮さめ止まぬ、といった感じで、当時の体験を話してくださいました。 ^^



翌朝は観光案内所で自転車を借りて市内をぐるぐる撮りながら回ることにしました。
観光案内所は、三陸鉄道の改札のすぐ脇にあり、さらにその改札口のスペースには、三陸鉄道に乗る時は欠かせない『うに弁当』の販売所がありました。
が。観光案内所に到着した8:30の時点で既に完売の札が。ちなみに販売員の方に聞いてみると、「朝6時の時点で長蛇の列が出来ていて、その日の販売分がその時点で完売」ですって!!

うっひょー………

この時点で、ドラマが終了して1年近くが経過しているのに、まだまだ人気は衰えていないんだなー… と実感した瞬間でした。


自転車を借りてまず向かったのが、『あまちゃん』のメインの舞台である、『北の海女』の活動の場である小袖海岸へ。500円の見学料を支払い、いざ、久慈が生み育んだマーメイドたちの実演へ。



初めて見た海女さんの実演。
恥ずかしながら、当初は、やはり物珍しさ、ドラマの舞台の追憶をなぞるため、という目的だったんですけれど、そんな矮小な思いが一気に吹っ飛んでしまうくらい、見入ってしまいました。特にベテランの海女さんは、垂直にスーッと潜っていくんです。波もほとんど立てずに。まるで海と一体になったかのように。実演のために整備された海岸で行うわけですから、海も綺麗。それだけに、潜った時の姿もよく見えます。本当に見とれるくらいに泳ぎが綺麗なんです。

獲れたウニは、その場でさっと洗い、捌いて中の卵巣を取り出して食べます。僕はウニはそれ程好きな方ではないのですが、それでも獲れたてとなると、食べずにはいられなくなります。 ^^;
海女さんと漁業組合の方曰く、暑い夏も過ぎ、涼しくなってきたこともあって、ウニも少し小ぶりになり、味も甘さが抑え、しょっぱさが引き立つようになった、とか。甘いウニを堪能するには、真夏に獲れたウニが一番なのだそうです。とはいっても、その時は夏休みのため、9月初旬とは比べ物にならないほどの人出でしょうね。 ^^;

その後は、小袖海岸の船着場の観光ボートに乗って、三陸海岸の海上散歩に。



三陸海岸は、小学校の社会で勉強しましたが、こうして目にするのは初めて。海から見るのも、陸から見るのも、その独特な地形は目を見張りますね。太平洋の海と風によって浸食した岩、海底からの岩の隆起。当初はそういった地形について、知識としてあったものの意識にはなくて、専らドラマのことが頭に会ったのですが、ドラマの光景と同じく、この旅において僕の心を掴みました。
特に、観光ボートに乗ると、『あまちゃん』のオープニングに登場するいくつかのシーンを、船頭の方が解説してくださいます。ちょっとした、ドラマの知られざる一面を垣間見たような気がします。



小袖海岸の後は、滝ダムを経て『琥珀博物館』へ。文字通り、琥珀色の美しい石が勢揃い。
初めて知ったのですが、琥珀って比重としては結構軽い方なんですね。確かに水に漬けると沈みますが、塩水に漬けると(濃度に寄りますけれど)浮くんだそうです。最近は琥珀の模造品も多く出回っているのだとか。そういったことを見分けるための一つの手段として、用いられているのだそうです。確かに、手にすると思った以上に軽かったです。

そして、何よりも個人的に今でも謎なのが、虫入りの方が値段が高い、ということ。その値段の高さとは、宝石としての価値なのか、考古学的な価値なのか… 多分、後者だと思うのですけれど。
何せ、琥珀は木々から出る樹脂が固まったもの。粘性も高く、虫であればひとたまりもなく取り込まれます。中には蛙等の小動物が取り込まれた事例もあるとか。つまり、虫はその時代の様子を環境や様子を研究する上で非常に貴重な史料になるわけですね。
だから、あくまで考古学的に価値のあるものだと思いますが… あまりそこら辺は詳しく説明しておらず、もしや宝石の側面でも値段が高いのか… と訝ってしまいました。 ^^;


ご当地料理に、海女に、三陸海岸に、琥珀にと、侮ることなかれ、見所なんていっぱいある久慈。これからも、たくさんの人が足を運ぶような、素敵な街でいてほしいと願っています。

2014/09/06

[Travel Writing] 初秋の北東北の旅 - 青森編

江戸時代より現存する天守や石垣などの設備は、当然100年単位で風雪に晒されるわけですから、痛みや損傷はその分深く蓄積されるわけです。ですから、定期的な数年がかりの大改修は当然のこと。姫路城も5年以上経過して、ようやく改修後の全容がお目見えになりましたね(本格的な営業開始は2015年春以降)。
弘前城でも、石垣の歪みが生じたため、10年近くの計画で大改修に入ることになりました。2014年11月頃から、天守を囲む堀を埋め、しばらく天守を別の場所へ移動させ、石垣の補修にあたる、というもの。よく、天守と桜の共演の写真を見ることがありますが、2014年の春を以てしばらくお預け。11月以降は堀も埋められ、工事用の幕なども張られるでしょうから、今の弘前城の姿を目に焼き付けておくのは、このタイミングだ、と思い、弘前の街撮りPhotowalkを兼ねてやってまいりました。



夏が終わったばかりということもあって、東北の紅葉は流石にこの時期はまだまだ。それでも、連日の暑さからか、弘前城の園内の緑も、夏の濃緑は形を潜め、ちょっとくたびれた様子。でもそれが、初秋の抜けるような空の青と高さに、妙にマッチしているように見えます。
また園内を彩る花々も、夏を代表するヒマワリはまだ咲いていましたが、どちらかと言うとサルビアのような晩夏~初秋を代表するような花が咲き誇っていました。この時期、残暑の残る東京などではまだまだ夏の花が最盛期というところもあります。東北はちょっと秋を先取り、という感じですかね。 ^^




実は弘前に来たのは2回目。1回目は、2006年のゴールデンウィーク、つまり桜が園内を咲き誇っている時に来ました。って、言ってるそばから、あれから8年かー、と思いを馳せるワタクシ。その時も晴れていて、天守の展望室から臨む、桜の海と岩木山の光景が印象的でした。
その時訪れたのは弘前城公園のみでしたので、今回はレンタサイクルでもうちょっと先の方まで。『藤田記念庭園』と『弘前市りんご公園』へ。特に『弘前市りんご公園』は、前回行きたかった、と思っていただけに、今回足を運ぶことが出来て、晴れてその念願が達成できたと言えます。

弘前市りんご公園は、弘前市街地からやや離れたところにあり、近隣には高い建物どころか家屋もほとんどなかったので、広々とした庭園と、高く、そして初秋の広がりを見せる青空をいっぱいに感じられるところでもあります。
りんごの本格的な収穫には、この時期はちょっと早かったと思います。それでも、一部の品種では既に実を真っ赤に実らせ、まさに食べごろ、という感じでまるまると実を太らせていました。申込制で収穫体験が出来ます。弘前のりんご、是非ともご賞味あれ…! ^^

2014/08/30

[Travel Writing] Geburtsort des 9. Sinfonie in Japan

ちょっと、勢い余って予定に組んでしまった街撮りPhotowalkの一つ。夏も終わり、暑さで日々の疲れが溜まっているに加え、この時期は例年にない業務が立て込んでおり、一応の休みは貰ってはいるものの、出掛ける意欲もかなり殺がれていた時期でした。
さらに、設定した行先が『徳島』。それも夜行バスに揺られて。一旦神戸に出た後、高速バスに乗り換えて鳴門へ行く、というルートです。

夜行バスに乗る瞬間まで、「行くべきか、行かずに家でのんびり過ごすべきか…」と逡巡していましたが、折角ある程度のお金の支払いが発生している手前、やはり行って後悔するか…! と気持ちを切り替え、鳴門の旅へと実行するに至りました。

結果として、身体への疲れが一層溜まってしまいましたけれど、でも行ってよかった、と思える旅になりました。 ^^;



まず到着したのは鳴門公園。丁度満潮の時間帯で、渦も大きく発生していた模様。滞在時間が僅かだったのが悔やまれます。 ^^;
もっとくっきり渦を見るには、干潮の方がいいかもしれません。潮が引いているので水量が少なくなっていますが、水勢はほとんど変わりませんから、はっきりとした渦が見られるのではないかと思います。そして渦を見るには、鳴門大橋のスカイウォークや海岸線からではなく、定期観光船に乗船しての、船からの観測。間近で渦を見る、最良の手段です。


鳴門大橋からバス→電車で乗り継ぎ、向かった先は、板東。



お恥ずかしい話しながら、『板東』という地は、映画『バルトの楽園』を鑑賞して初めて知りました。逆に言えば、映画が自分の知見を広める一つの媒体になっているのですから、決して安易に、単なるエンターテインメントだけに扱うことは出来ないのですけれど。

第一次世界大戦の折、連合国からの要請を受けて、青島を進軍していたドイツ軍と交戦。その戦いで勝利し、4700名程のドイツ兵を俘虜として日本に収容することになりました。
しかし当時の日本には、俘虜を収容するための施設は皆無に等しく、各地の寺院等を間借りして収容した、という形を取ったため、環境としては劣悪。これを機に、全国的に俘虜を収容する施設の建設が本格的に始まり、その一つに、徳島県鳴門市 板東の地があてがわれたそうです。

『敵軍』を収容するために設けられたはずの収容所。しかし板東俘虜収容所は、他の収容所とは一線を画し、俘虜たちに対し最大限の自由を与えていました。不慮の多くが元志願兵。それゆえ、様々な職種が集まっていたそうで、パンや肉の製造、写真撮影や靴職人等、生活必需品から趣味の世界まで、そこは本当に収容所なのか? と思ってしまうくらいに、生活感と享楽が溢れる場所だったそうです。
そのため、ヴェルサイユ条約以降、多くの不慮がドイツ本国へ帰還したものの、日本に留まった兵も少なくなく、自分の持つ技術や知識を、如何なく発揮したそうです。また、ドイツ本国へ帰還した者も、俘虜になったことを切っ掛けに、日本の研究を始めた者もいたそうです。
正にここが、日本とドイツの友好の懸け橋の場所になった場所、と言えそうですね。

そして何よりも忘れてはならないのが、この板東が、今や世界でも有名な交響曲の1つである、ベートーベンの交響曲第9番『歓喜の歌』が初めて上演された場所でもあります。この曲を初めて耳にした当時の日本人は、まるで天にまで届くかのような盛大にして高らかな歌声に驚き、そして高揚したそうです。
交響曲第9番は、今では世界中で、新年を祝う曲として披露されるのが定番となっていますが、板東では、初めて上演された1918年6月1日にちなみ、6月の最初に披露されるのだそうです。


こうした歴史に思いを馳せてみると、ところどころに、当時のドイツ兵が遺して行ったものが数多く見受けられます。例えば、大麻比古神社の境内の裏手にある、ドイツ橋や眼鏡橋など。県道12号線を挟んで、高徳線の方に足を伸ばすと、『阿波大正浪漫 バルトの庭』があります。映画『バルトの楽園』のロケセットが公開され、映画さながらの世界を感じることが出来ます。

残念なことと言えば、これだけ素晴らしい逸話や史跡があるにも関わらず、訪れる人があまりいない、ということ。実際のところはいます。同じ板東にある『霊山寺』が、四国八十八箇所第1番札所ですから。お遍路さんのスタート地点という意味では欠かせない場所ですね。実際にここでお遍路さんに必要な品物の購入や講話を聞いたりもします。
その一方で、ただでさえ国際的な交流が、東京や大阪、京都に集約されるあまり、こういったところに目が向けられていないのはちょっと寂しい気もしました。地味かもしれませんし、決して交通の便もいいとは言えませんが、スポットの当たるところになったら、と思わずにはいられません。

2014/08/25

[Travel Writing] 大地の悠久の息吹を感じる旅

庄内地方の旅が比較的良好な天候だったのは、その時点で自分の運気を全て使い果たしてしまったんじゃなかろうか、ってくらいに、次の日以降の天候は雨、よくて曇天。 (´д`)

鶴岡市で一泊し、羽越本線で南へ行って新潟へ。新潟市の時点では天気は良く晴れて爽やかだったのですが、越後線→北陸本線に乗り換え、次の目的地である糸魚川に向かう最中に、徐々に雲行きは怪しくなり、直江津に到着した時にはパラパラと雨が… orz
糸魚川か直江津か、同じような場所に行くにしても、その行き方をどうアレンジするか… というところで、僅かな時間逡巡しましたが、直江津でのパラパラ雨がほんの一時的なことだったということに気づき、そのまま糸魚川へ行くことに。



糸魚川駅界隈で自転車を借り、能生まで走らせました。
糸魚川は今回が2回目。しかもその最初が、日本海から寒風吹きすさぶ真冬。当初、日本の気象状況をよく把握していない僕は、『新潟は全域で雪が積もる』という誤った知識を持っており、この時も、雪化粧の上越界隈を心待ちにしていたものです。
が、結果は惨敗。雪どころか。それも骨身に染みる冷たい雨。何でこんな雨の中をてくてく歩いているんだろう… (´q`) と、自問自答したものです。

そして今回もあまりよろしくない天気。糸魚川に到着した当初はまだ持ちこたえたものの、翌日は昼過ぎから雨。ああ、きっと僕と糸魚川の相性ってこんなものなのかな… (´ー`) と、ほぼ諦めモードに陥っておりました。

とは言え、雨なら雨で、水と水をたっぷり含んだ空気が織りなす光景というのは、やはりその天候でないと味わうことが出来ないというのも事実でして。その最たる例が、次の日、つまりこの旅の最終週に訪れた、小滝ヒスイ峡です。


小滝川の急流の水しぶきと、それが作り出す水煙。それが、渓谷を幻想的に映し出していました。水煙があたりを包み込み、靄を形成しているからこそ、渓谷の石、森、そして急流の力強さが、一層色濃く表れているのかもしれません。
『小滝川ヒスイ峡』という名称の通り、この界隈は昔から良質なヒスイの産地で、古墳時代や大和時代、各地を治めていた豪族の装飾品に使用されたヒスイも、ここから産出されたと伝わります。そしてそのヒスイは、悠久の時を超えて、今もこの地に多く眠っています。勿論、許可の無い採掘・採取は厳禁。まぁ、ポケットに忍ばせられる大きさのヒスイは存在せず、今、この渓谷にあるヒスイは、いずれも大型クレーンでもないと持ち出せませんが。 ^^;

もう一つ興味深いのは、このヒスイ峡、規模は小さいながらも糸魚川市の観光スポットとして紹介され、洪水対策として川岸が整備されています。その整備された川岸に敷き詰められた石も、何百年前から何億年前、という、人類が誕生する以前の年代のものに分けられて敷き詰められていまして。そういった違いを見せることにより、この地が地質的にどのように変化していったのかを体験する意味も含まれているそうです。
糸魚川は、フォッサマグナの西端に位置する場所。フォッサマグナとは、ラテン語で『大きな溝』を意味し、かつてこの場所が海の底であったことを示す証拠がそこかしこに。このヒスイ峡に行く道すがらで見える、屹立する『明星山』。この山の成分の多くが石灰岩で出来ている、ということもその証拠の一つなのだそうです。しかも、その石灰岩の地層から、大量のアンモナイトをはじめとする化石が出土されたとか。ヒスイの生成も、大いなる地球上の営みから生まれ出でた宝石。一見、変哲のない峡谷のように見えるものの、そこには、何億年と刻まれた地球の鼓動が眠っているんだなぁ、と思いを馳せました。

糸魚川ジオパークは、2009年に、世界ジオパークに認定されています。


ここで産出されるヒスイが、古代の豪族のステータスになっている、というわけですから、当然糸魚川には、古代のヒスイの加工場所がありました。その遺跡群も、市街地でいくつか見ることが出来ます。


しかしここで雨脚が強くなってしまったため、『フォッサマグナミュージアム』で雨宿りを兼ねて見学。フォッサマグナを発見したナウマンの功績を始め、糸魚川とその近海の地形・地層だけでなく、連綿と続いた地層やその時代の岩石・化石などが多種多様に展示されています。
また、ヒスイと一言で言っても、産出地によって、形状は勿論、見た目や性質も結構違いますね。地層・地学好きの当方としては、非常に面白い場所です。

さて、雨はというと、帰りの時間となっても止む気配は無く、結局糸魚川は、両日ともにあまりよろしくない天気の中での街撮りPhotowalkで終了を迎えました。 (´・_・`)
初日が運が良かっただけに、二日目・三日目の分の運を使い果たしてしまった、とも言えなくもありません。 ^^;
願わくばすっきりと晴れた日に街撮りしたかった、とは申せ、こういった天候ならではの光景も見ることが出来た、という収穫もありました。1つでも収穫があったのなら、それはそれでよしとしましょう。 ^^;

2014/08/23

[Travel Writing] 晩夏の庄内地方巡り

予てから、Google+の写真家さんの一人で、美しい庄内地方の写真をアップしている方がいらっしゃって、見ているうちに旅情が募り、庄内地方への旅を決行することと相成りました。
庄内地方の旅は、酒田に続き二度目。その酒田は、丁度雪が降りしきる真冬(それも鉄道が除雪が追いつかず運転見合わせになるほどにw)でした。今回は、鶴岡→遊佐→にかほ と、鳥海山を挟んで秋田方面へ。晩夏の庄内地方は、夏の暑さがやや形を潜め、替わって通りの田んぼの稲穂の色が黄金色に変わりつつある、そんな、秋の気配が少し感じられる風景が広がっていました。
今回の旅では、件の写真家さんがお車を出していただいて、しかも庄内地方の素敵なスポットを紹介して下さって。このBlogをご覧になっているとは思いませんが、この場をお借りして御礼申し上げます。 m(_ _)m


にも関わらず、当方の「鶴ヶ岡城にも行ってみたいです」という、有効に日程を使うべきなのに、鶴岡に到着早々城跡にご案内下さりまして… (´∀`;) 有難いことです。
戦国時代には前身の『大宝寺城』が建てられ、最上氏や上杉氏の所領争いの的となっていました。関ヶ原の合戦により上杉氏は会津へ転封、この時、城は鶴ヶ岡城へ改称されたと言われています。石垣は主だったところのみでほとんどが土塁と堀で構築された城郭です。

当初、この日の庄内地方の天気は雨。まぁそれならそれで楽しもう… と腹を括っていたのですが、夜行バスに乗り朝になってカーテンをちょっと開けてみたら、何と青空が! (゜∀゜) 鶴ヶ岡城界隈も、写真のように太陽の光が降り注いでいました。
とは言え、空全体が真っ青、というわけではなく、まだちょっと不安定気味。雨の心配が全く無い、というわけではなさそうです。


その一方で、今回ご同行いただいた方曰く、「羽黒山はむしろ霧がかかった方が幻想的」というアドバイスをいただきまして。羽黒山に向かった時は、早朝の晴天は形を潜め、今にも雨が降りそうな雲がかかっていました(実際は降らずに済みましたが)。しかしその霧が、境内を幻想的ともいえる湿り気を含ませ、そして神秘的な光景を映し出しておりました。
五重塔近辺では幻想的な霧に包まれていたものの、足を伸ばして羽黒山山頂へ向かったところ、霧や雲がさっと晴れ、遠くの山々も広く見渡せました。今日は何だか運がいいなぁ、とほくほく思ったものです。 (´∀`)




その後、ご同行いただいた写真家さんのお勧めスポットを中心とした場所へ。丸池様→元滝伏流水→月山へ。丸池様、元滝伏流水もいい天気に恵まれまして。特に元滝伏流水は、到着したのが午後なのですが、写真家さん曰く、午後に(写真にあるような)木漏れ日がさすのは初めて見た、ということで(早朝の木漏れ日は何度も見た、とのこと)。貴重な体験になりましたねぇ。 (´∀`)
これらのスポットへ行く道すがら、車の外に目をやると、月山には雲がかかっておらず、お、これはいい写真が撮れるか!? と、喜び勇んで月山八合目まで向かったものの… このPhotowalkの最終目的地である月山は、残念ながら厚い雲に覆われ、夕焼けの光がほんのちょっと見えるだけに留まっておりました。
行きたかったスポットと、その時点での天気を鑑みると、3勝1敗、という感じでしょうかね。 (´∀`;) 月山に関しては、八合目に到着し、弥陀ヶ原を散策するに留まったため、山頂に登るためにもう一回挑戦せよ… という意思表示なのでしょうかね。

ちなみに丸池様は、『様』まで含めるのが正式な名称らしいです。写真のように、エメラルドグリーンに映るのは、その日の水の透明度や、日差しの差し方によっても変わるため、本当に美しいエメラルドグリーンの池を見るのは、結構珍しいらしいです。
言い伝えによると、この池には意図的には足を踏み入れてはいけない、とのこと。踏み込んだら、片目がつぶれるらしい、とか… (´д`;)
という言い伝え云々抜きにしても、やはり自然が生みだした美しい風景、おいそれと足を踏み入れてはいけないことがよく分かります。


今回の、秋田県かほく市を含めた、庄内地方を巡る晩夏の旅は、貴重な体験になりました。夏だけでなく、秋など、他の季節にも行ってみたい、その時の光景を目に焼き付けたい、という強い旅情が生まれましたねぇ。
特に、月山はやはり登頂したい、という気持ちは強く募りました。流石に月山は、秋深まる頃には積雪の恐れがあり、山への道は閉ざされます。来年の夏、チャレンジしたいと思います。 ^^