2013/11/16

[Travel Writing] 近代産業が遺したモノ - 軍艦島

『竹楽』の余韻も冷め止まぬ早朝。いよいよ肌を突き刺すような寒さの季節の到来を予感させる空気の冷たさを感じてきました。何故こんな朝早くに豊後竹田駅から移動しなければならかいか、というと、昼には長崎に到着したかったから。外はこんな寒さでも、電車の中に入れば、まだ暖房が入っていなくてもちょっとはマシになります。
阿蘇山を突き抜け、熊本~鳥栖を経由して長崎へ。その道中、鳥栖駅で『ななつ星in九州』に遭遇! まだ新しい車両名だけに、放たれる輝くばかりの車体に、しばし凝視しておりました。一泊二日、もしくは三泊四日で九州を周遊できる列車。そのお値段はこのブログに書くまでもない、まさにセレブ御用達。下々の者共が容易に手の届くものではないのです。 (´∀`;)

指をくわえながら、一路長崎へ。

しかし今回の長崎への旅は、いつも以上に天候の動向にはらはらしながらの移動でした。何せ今回の長崎の旅は、軍艦島へ渡ること。しかし聞いた話によると、1m程度の波で上陸を諦め、引き返すことがあるとか。その話を聞いた時は、半ば冗談と受け取っていましたが、実際のところそれは恐らく本当の事だというのを身に染みて理解した次第です。
この日は、まだ波も高くなく風もそんなに強くなく、比較的穏やかな環境なんだそうです。『まだ』。それでも、クルーズ船が長崎港から出てしばらくしないうちに、船が大きく上下に揺れるように。長崎港の内海ですらこんな状況ですから、女神大橋を抜けて外海に出た時の風・波の大きさは推して知るべし、といったところでしょう。
ちなみに、長崎近海の海が比較的穏やかなのは、まだ梅雨が来る前の5月下旬~6月中旬くらい。梅雨時や台風シーズンは言わずもがなですが、その台風が過ぎて穏やかな日々が続きそうな10月~11月ですらも、渡航できないほどの波が高い日が多いそうです。実際、僕が行った日の丁度一週間前は、天候こそ良かったのに、波が高くて途中で引き返したとか。
とにもかくにも、無事、軍艦島にたどり着くことが出来ました。

軍艦島 - 一軍艦島 - 二

軍艦島 - 三軍艦島 - 四

軍艦島の正式名称は『端島』。かつて、歩けば20分くらいで一周出来てしまう小さな島に、最大で5000人もの人が暮らしていました。この近海から採れる石炭が、日本のエネルギーを支える資源として大いに持て囃され、まるでゴールドラッシュを夢見るかの如く、多くの人がこの島に住んだんだそうです。
当然、これだけの人間が住めば済む場所など一瞬で枯渇しますから、高層マンションが建つのは当たり前。子供たちの遊び場としての広場が確保できるわけもなく、もっぱらマンションの屋上で遊んでいたそうです。
しかし、石炭から石油へのエネルギー政策の転換により、石炭採掘の持続が可能なのに、敢え無く閉山。島民は全て本土へ引き上げ、端島は無人島となります。二度と戻らない島の建物は、一部は取り壊されたものの、全てが取り壊されたわけではなく、今でもこうして、かつての生活の面影を僅かに残しながら、残骸として横たわっているのです。強い風による風化、台風による建物や斜面の崩れを受け、徐々に蝕まれていくのを横目で見ながら     

なんて、まるで感傷に浸ったかのような語り口調で書いてみたものの、廃墟大好き人間の当方としては、この威容を目の当たりにして、興奮せずにはいられないのです! ( ゜∀゜) ウッヒョー!
しかし、そんな興奮も、今回のナビゲーターである『軍艦島を世界遺産にする会』理事長の坂本さんの話を聞いて、下火になっていきます。というのも、坂本さんはこの軍艦島出身。政府のエネルギー政策の転換によって翻弄され、これまでの生活を捨てることを余儀なくされた、ということを切々と語ります。坂本さんはその時高校生。慣れ親しんだ故郷を捨てなければならない、廃墟となった故郷を見るのは忍びない。しかしその廃墟を、捨てよと命じた政府が遺産に登録する、という動きの矛盾に対する憤り。その心情はいかばかりか。
と思ったものの。ん? ちょっと待って?
石炭の採掘を、戦時中の軍国主義的な背景柄、まるで奴隷として働かされた、というのならともかく、高層マンションも建ち、どこよりも家電の普及率が高く、島内ヒエラルキーがあるとはいえむしろ当時の一般家庭から見れば裕福な方であった端島の生活。ということは、ここに石炭採掘に渡航した人たちは、どちらかと言えば豊かな暮らしを求めてやってきたわけだ(中には命令で来た、と言う人もいるかもしれないけれど)。つまり、自分たちでこの島に『選んで』来た、ということ。それは、この島と近海の石炭がたとえ枯渇して引き上げなければならない状況下にあっても、全て『選んだ』ことによる『責任』も全て含まれている、ということになる。
政府がエネルギー政策の転換を図ったのは、石油の方が効率性や価格面などで、石炭よりもメリットがあるから。より安く、より効率的な方策を選ぶのは、別に政府でなくたって、人間誰しもが望むことじゃない? それを、「政府のエネルギー政策の転換が~」と叫んでしまうのは、それこそ責任転嫁になるんじゃないのか?
そう思った次第なのです。
もし、坂本さんが、当時高校生ではなく石炭発掘の業務に携わっていた人であれば、これほど説得力の無い話はないと思いました。まだ、自身の進路もままならない高校生の時に、島を離れざるを得なかったからこそ、その悲痛の叫びに転じたのかもしれません。

しかし僕としては、それ以上に憤慨する出来事が、廃墟への落書き。
長崎市の許可を得ての特別なツアーでもない限り、指定された場所以外への立ち入りは原則出来ません。観光で軍艦島に入ることが出来るのは、ほんの僅かな領域だけなのです。にも関わらず、立ち入り禁止の区域に書かれる、『○○大学●●サークル 参上!』等の落書きの数々。もしこのブログを見たそこのお前、歯を食いしばって前に出てこい、と言いたいくらいです。
落書きを消すことは出来ても、その作業によって廃墟として残すべき個所が崩れるかもしれない。そうなると、その落書きを含め、それを遺構として遺さなければならない。『軍艦島を世界遺産にする会』のジレンマは、こんなところにも出てしまっているのです。


今回の軍艦島ツアーは、喜び勇んで行く予定だったものが、色々な意味で考えさせられるツアーとなりました。しかし、上陸時間がほんの1時間足らず、というのがやはり物足りないところ。でも、これからも観光客が増えるとなると、そういうわけにもいきませんものね。

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