2012/04/28

[Travel Writing] 東北桜紀行 - 福島編 Vol.1

長年の夢の一つが、ようやく叶った瞬間です。

三春滝桜 - 一三春滝桜 - 二

福島県 三春町。満開の三春滝桜。ついにその姿をこの目で確かめることが出来ました。

2011年3月11日。千年に一度とも言われる巨大地震が、東北から関東を襲いました。道路や鉄道が寸断され移動も思うようにならず、あまつさえ原子力発電所の事故により、一部の市町村で立ち入り制限がなされました。
我先に、もしくは政府・自治体の誘導のままに、人々は避難していく。しかし、植物たちは、物言う口も、歩く足もありません。ただじっと、その境遇のままに行き、そして、花を咲かせます。淡々と、黙々と。
勿論、三春滝桜は、震災が起こる前から注目していましたが、皮肉にも、今回の震災を通して、より一層、この目に焼き付きたいと思った次第です。

ゴールデン・ウィーク初日、ということもあるからか、既に滝桜周辺は5km以上の渋滞! 皆さんよほど、この桜を目にしたかったんでしょうね。早朝7~8時台であるにも関わらず、既に桜を取り囲むように、大勢の方で賑わっていました。
樹齢1000年、国の天然記念物にも指定されている桜。日本人の根底に繋がるものと、そして復興の導にもなる桜。震災が起こった後も続く艱難辛苦、そんな中だからこそ、目の前に咲き誇る美しさを、きちんとこの目に焼き付ける必要があるのかもしれません。


仮設住宅から臨む、満開の桜と鯉のぼり

僕は三春駅から三春滝桜への道のりを歩いて行きましたが、その途中の大滝根川の橋のところで、鯉のぼりを発見し、特に何か名のある場所というわけではないけれど、こういう穏やかな春を感じられるところもいいかも、と思い、行ってみたわけです。
その景色を見た時は知らなかったのです。その場所が、仮設住宅になっていることを。

旧中郷小学校応急仮設住宅。ここは、葛尾村から避難してきた人たちが生活しているところ。1か所に全て避難して暮らしているのではなく、三春ダムのさくら湖を囲むように、散り散りに暮らしているのだそうです。
しかし、そこに暮らしている方々は、震災から1年が経過していたものの、その表情は、『いつもの生活』をしているような穏やかな表情が垣間見え、悲観の空気はまるで見えない。散歩中のお婆さんと出会い、満開の桜と穏やかな晴天の下で、他愛の無い話をしながら、少し歩きました。矍鑠としていて、おしゃべり好きで、葛尾村のことも、少し教えてもらいました。恥ずかしい話ですが、これも皮肉なのですけれど、この震災が無ければ、決して、単に地図上に存在する一市町村、とでしか感じなかったと思います。彼らが住んだ、彼らの記憶が刻まれている村を、この目で見てみたい。そういう渇望に駆られた瞬間でもあります。

また、仮設住宅地内を元気に走り回る、小学生とも会い、話をしました。カメラを引っ提げていましたから、カメラマンだと思ったのでしょう。^^; 剣道の話、算数の話、漢字の話。今の小学生らしい悩みを織り交ぜながら。
「また、ここに来る?」その言葉を耳にした時、僕はドキッとしました。ちょうど算数や漢字の話をしていた時のこと。僕の悪い癖。「少し勉強見ようか?」。それは、今日この日の時間を少し使って、彼に少し手解きする程度で言ったはず言葉。安易な約束。でもこの子にとっては、やはりどこか寂しいのだ。ご両親も、今の生活を支えるために、必死に働いているに違いない。遊ぶ相手は勿論、勉強をちゃんと見てもらえる人が欲しかったに違いありません。
この言葉を口にした時、僕は心底後悔しました。何より、この子に寂しい思いをさせてしまうから。曖昧な答えしか出せない自分が大嫌いでした。だからこそ、その子にまた会うことがあれば、しっかりと支えたい。自分に出来ることはほんの一握りでしかないけれど、その子が自分の両の足でしっかり立てるよう、自分に出来ることをしたい。何より、いかなる約束も守れるような、そんな度量を身に着けたい。
その子と別れた後、僕は少し泣きました。そんな自分の不甲斐無さと、あの子達を想う気持ちで。もっと強くなりたい。そんな気持ちが心から湧き出た瞬間でもありました。

当初は、三春滝桜を見る、それがこの旅の目的の一つ。しかし、旅先で思わぬ渇望に芽生えることもあります。今回は、それが自分にとって、大いなる価値があったと思います。



三春滝桜 (Miharu Takizakura)
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