2012/04/09

[Travel Writing] 西日本桜紀行 - 静岡編

西日本桜旅、最終章は、静岡県 駿府城です。

清州城を見て、犬山城を見て… という旅程の後で、静岡に向かい駿府城を見る、というのですから、今回も今回とて、無茶苦茶な旅程を組んでいることが良く分かります。^^;
清州城から犬山城は、一旦名古屋に向かい、犬山行きに乗り換えます、1時間近く要します。駿府城に行くには、少なくとも名古屋を昼くらいに出なければなりません。もう、他の人からすれば呆れるくらいの強行軍です。しかも、犬山から静岡へ向かうには、新幹線を乗り継ぐ必要があるのですが、地下にある名鉄のホームから新幹線まで、普通に歩き、自由席をチケットを買うためには、最低でも10分くらいは必要です。それを4分で済ませるという、普通に旅行を楽しむ行動から懸け離れた荒業をやってしまいまして…

いや、もうやらないですけどね。如何に時間を最大限に使うためとはいえ、ちょっと現実的なやり方ではありませんので…


駿府城公園と桜徳川家康像

元々は、14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、今川館が築かれ、今川領国支配の中心地となっていた場所。しかしその後、甲斐の武田氏と同盟関係にあったものの解消され、武田氏の駿河侵攻により、城館は失われてしまいます。
武田氏の支配拠点の一つになるものの、1582年の織田・徳川勢力により武田氏は滅亡、甲斐・駿河の武田遺領は、三河の徳川家康が領有となり、その後、徳川家康の政治拠点となります。征夷大将軍を、二代・秀忠に譲った後も、単なる隠居生活では終わらせず、二重実権構成として辣腕をふるっていたのは有名ですね。

家康亡き後、徳川家光の弟、忠長が城主となりますが、その忠長は家光によって改易と蟄居を命じられ、後に自刃。その後、1635年の火災によって消失、御殿・櫓・城門等が再建されるが、城主がいないため天守は再建されなかったそうです。

ということをロクに調べもせずに訪ねたため、かの家康公のそれは壮麗な天守があるのだろう、と思っていたら、公園として整備されていたという… orz
いや、勿論、今は戦国ではありませんから、憩いの場として整備されているのは喜ばしいことではあるのですがね。ちょっと、複雑な感情が入り混じっているのは否めません… ^^;

そして、今年の桜は咲き始めたら散ってしまう速度が、いつになく早く、駿府城公園の桜も、大部分が散っておりました。暖かい地域ですからやむを得ないとはいえ、鹿児島が見頃でしたのでもしかしたら、と期待をしておりましたが…
桜は、特に遠方の桜を見物するのは本当に難しい。
実は、今回の旅で、愛知編・静岡編に行く前に、一旦、京都に降り立っていたのですが、目ぼしい桜の名所は、ほとんど咲いておらず… (醍醐寺で間もなく満開、というくらいです) こういったことは、常にアンテナを張り巡らせて、リアルタイムの情報収集をするのが必要ですね。旅なのに何でこんなに気が抜けないのか、と… ^^;



駿府城 (Sunpu Castle)
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