2009年4月に発生した、ソマリア沖で海賊によってアメリカ国籍の貨物船船長が拉致され、救出にあたるまでの実際の事件を追った作品。実際の事件を元にしており、最後はどうなるかの顛末を理解していつつも、『単に事件を描いた』に留まらない、目を向けるべき世界の情勢、このような残酷極まる状況下で、船長は、クルーは、そして海賊は何を思ったか、そんなことを考えさせてくれる力強い作品です。
当然、漫画やファンタジー作品に出てくる海賊ではなく、それぞれが明日をも知れぬ、食える何かを求めるために狡猾な略奪行為を繰り返す海賊たちです。しかし、単なる勧善懲悪ではなく、何故この海賊たちがそういった行為に身を委ねる結果となってしまったのかも見どころです。さらに彼らは、如何にして他人を押しのけて生きていくかだけに強く執着心を持っています。故に、チームワークと言ったものはほぼ皆無。少人数であるという身軽さと、「この略奪計画を遂行しなければ確実に死ぬ」という『確実な死』と隣り合わせになるからこその行動なのでしょう。
そして別の意味での『確実な死』と隣り合わせに、フィリップス船長は晒されてしまった。彼らに比べれば格段に豊かで自由の利く生活とは言え、何人と言うクルーと何億ドルという物資を運ぶ船長である、さらに危険極まりない海域であるソマリアの角を航行する以上、相応の(という言葉ですらも軽々しいくらいの)覚悟を以て仕事に全うしているはず。被害を如何に最小限に食い止めるか、それに対する最善の努力を怠らず全うし、当初は傭兵のように食い扶持を稼ぐためのクルーも、事件が実際に起こればそれに呼応するかのようにそれぞれの役割を全うする。それでも、予想外の事態は必ず起こる。
そんな、それぞれの持つ『尊厳』ための緊迫感が、スクリーンから溢れ出ているように感じました。
この作品で最も印象的だったのが、フィリップス船長が助かった後。アメリカ海軍の作戦により、船長を人質にとった海賊3人は射殺。船長が救助されたと同時に、海賊のリーダーが逮捕されます。海賊と同じ救助艇に人質として乗り込まれ、身動きも出来ない状態、さらに人質として体よく扱われていたはずが、焦りを募らせた海賊によって正に死と隣り合わせになる。
轟く銃声と飛び散る血を浴び、目の前に現れたのは、物言わぬ死体。救助後、彼は淡々とした手続きで身体チェックを施され、無事が確認出来る。が、彼は止めようもない嗚咽が…
その嗚咽は、助かったことによる安堵感なのか。それとも、海賊たちの身の上話を聞き、彼なりに何とかしたい、でも結局助けることは出来ず死という末路でしかなかったことへの後悔なのか。ここは観賞した人の解釈にもよりますが、個人的には、恐らくこの最後の部分が、フィリップス船長の最も心に深く刻まれた『傷』になったのかもしれません。
この作品について。ポール・グリーングラス監督が、「最も危険なことは、生きる目的のない若者に銃を与えることだ」と述べているそうです。解釈によっては、まだまだ裕福な人たちによる上から目線的な意見、本当の意味でのソマリアの実情を知らない発言なのかもしれない。でも、発言の意味やその解釈を、向けるべき意識を向ける前に断じることは極めてナンセンス。未だ解決していない、検証中の事件・事故に対し、責任問題を追及するのと一緒。
彼らの海賊行為の背景は何なのか。海賊を行った彼らを裁いても、その根元を断絶しなければ、また同じことの繰り返し。意見の意味・主義も貴賤はここでは問わないし問う価値も無い。まずは実行し、感じることにこそ意味がある。そんなことを問いかけているようにも思えました。
キャプテン・フィリップス | オフィシャルサイト
人間らしい生き方を身に着けるため、日々精進努力をしてまいります。 / Daily diligence efforts for better life!
2013/12/09
2013/12/02
[Review] かぐや姫の物語
この作品に最初に衝撃を受けたのは、『風立ちぬ』が上映される前のプロモーションを観た時。まるで水墨画の様な、流線形の描写と滲みの着色。憤怒に満ちた姫が街を駆け抜ける。まるで身にこびり付いた汚らわしい俗物を全て取り払うように。しかしそのシーンに流れるのは、二階堂和美『いのちの記憶』。
ゆったりとした流れの音楽と怒りに満ち満ちたかぐや姫。それは一体何を示すのか。想像力が募る一方だった。
中学・高校の古文を勉強した者なら、誰もが知っている『竹取物語』。さらに言うには及ばず、子供のころから親に読み聞かせ等で、『かぐや姫』を見聞いた人も多いだろう。
作品のキャプションには、『姫が犯した罪と罰』とあり、きっと『竹取物語』から、ジブリアニメならではの大胆なアレンジが施されているのだろう、と思うだろう。が、この作品には全くと言っていいほど奇をてらったところが無い。僅かな解釈はあるが、ほぼ『竹取物語』を忠実に再現している。
しかし、だからと言って「なんだ、別に観るほどのものでもないじゃん」とは思わなかった。それこそ、物語を忠実に淡々と運んでいるのではなく、主人公である『かぐや姫』の性質が盛り込まれ、表現されている。それもこれ見よがしではない。常に『自然体』なのだ。
そこに、『かぐや姫』が犯した『罪』と『罰』が見え隠れしているような気がする。月の住人であるその少女は、人間と同じく『好奇心』という『自我』を持ってしまったこと。これが少女が犯した『罪』。それによって地球に降り、如何に人間が『醜いか』を知ること。自身に『好奇心』という『自我』を持ってしまったことを後悔させること。それが少女に課された『罰』。
地上に生きる中で、少女は幾度となく、人間と交わることによる『辛いこと』を何度も経験した。しかしそれと同じくらい、翁や媼をはじめとする人間から与えられた人間の『情』にも触れてしまった。
その象徴となるのが、自分が手塩をかけて作り上げた庭を、「こんな私なんか『偽物』よ!」と叫びながら壊すシーン。それは、自分にも人間と同じ『醜い』ところがある、ということを自覚してしまった自傷行為。「人間は醜い」と、一方的なまでに自分と切り離して考えることが出来ず、人間の持つ溢れる『情』にも触れてしまったがために、自分の中に芽生えてしまった、『人間と同じ醜い部分』と対面せざるを得なくなった。
少女に罰を与えた月の住人は、その罰として「人間に『好奇心』を抱くな。抱いてしまった罰として、人間の『醜い部分』に触れ、心の底から後悔しろ」というものだったはず。しかしその思惑とは裏腹に、少女の心は『人間』となってしまう。花びらが舞う桜のように、まるで際限ないかのように伸びる竹のように、何ものにも縛られない風のように、自然に溶け込むような生き方を、当初、少女は、そして月の住人は求めていたのに。
いわばこの作品は、『少女』から『女性』に成長する過程を示している、とも思える。単にそれがかぐや姫だけに対するものではなく、この作品を鑑賞する少年・少女全員に対しても当てはまるに違いない。大人になる、というのは、多かれ少なかれ人間の持つ『醜いもの』に触れる、ということだ。人間の社会に生きるには、それは避けては通れないことだ。
だからこそ、しっかりと『自己』を持ち、磨いていってほしい。この作品の、観客に対し求めていることは、そういうところなのかもしれない。
かぐや姫の物語 公式サイト
ゆったりとした流れの音楽と怒りに満ち満ちたかぐや姫。それは一体何を示すのか。想像力が募る一方だった。
中学・高校の古文を勉強した者なら、誰もが知っている『竹取物語』。さらに言うには及ばず、子供のころから親に読み聞かせ等で、『かぐや姫』を見聞いた人も多いだろう。
作品のキャプションには、『姫が犯した罪と罰』とあり、きっと『竹取物語』から、ジブリアニメならではの大胆なアレンジが施されているのだろう、と思うだろう。が、この作品には全くと言っていいほど奇をてらったところが無い。僅かな解釈はあるが、ほぼ『竹取物語』を忠実に再現している。
しかし、だからと言って「なんだ、別に観るほどのものでもないじゃん」とは思わなかった。それこそ、物語を忠実に淡々と運んでいるのではなく、主人公である『かぐや姫』の性質が盛り込まれ、表現されている。それもこれ見よがしではない。常に『自然体』なのだ。
そこに、『かぐや姫』が犯した『罪』と『罰』が見え隠れしているような気がする。月の住人であるその少女は、人間と同じく『好奇心』という『自我』を持ってしまったこと。これが少女が犯した『罪』。それによって地球に降り、如何に人間が『醜いか』を知ること。自身に『好奇心』という『自我』を持ってしまったことを後悔させること。それが少女に課された『罰』。
地上に生きる中で、少女は幾度となく、人間と交わることによる『辛いこと』を何度も経験した。しかしそれと同じくらい、翁や媼をはじめとする人間から与えられた人間の『情』にも触れてしまった。
その象徴となるのが、自分が手塩をかけて作り上げた庭を、「こんな私なんか『偽物』よ!」と叫びながら壊すシーン。それは、自分にも人間と同じ『醜い』ところがある、ということを自覚してしまった自傷行為。「人間は醜い」と、一方的なまでに自分と切り離して考えることが出来ず、人間の持つ溢れる『情』にも触れてしまったがために、自分の中に芽生えてしまった、『人間と同じ醜い部分』と対面せざるを得なくなった。
少女に罰を与えた月の住人は、その罰として「人間に『好奇心』を抱くな。抱いてしまった罰として、人間の『醜い部分』に触れ、心の底から後悔しろ」というものだったはず。しかしその思惑とは裏腹に、少女の心は『人間』となってしまう。花びらが舞う桜のように、まるで際限ないかのように伸びる竹のように、何ものにも縛られない風のように、自然に溶け込むような生き方を、当初、少女は、そして月の住人は求めていたのに。
いわばこの作品は、『少女』から『女性』に成長する過程を示している、とも思える。単にそれがかぐや姫だけに対するものではなく、この作品を鑑賞する少年・少女全員に対しても当てはまるに違いない。大人になる、というのは、多かれ少なかれ人間の持つ『醜いもの』に触れる、ということだ。人間の社会に生きるには、それは避けては通れないことだ。
だからこそ、しっかりと『自己』を持ち、磨いていってほしい。この作品の、観客に対し求めていることは、そういうところなのかもしれない。
かぐや姫の物語 公式サイト
2013/12/01
[Travel Writing] 晩秋の海辺のアートシティ
温暖な気候の静岡県は、紅葉の季節もどの県より遅め。12月に入り、北の方では冬支度に入っていても、静岡ではまだまだ赤や黄色の色とりどりの紅葉が見頃。街の中を吹き抜ける涼しいけどちょっと寒い風を受けながら、静岡西部の都市、浜松をPhotowalk。
『浜松』という都市名で、おそらく最初に浜名湖を思い浮かべるでしょう。ですが実際に地図を見てみると、浜松は南北に広く広がっており、特に北部は南アルプス山脈の南端に差し掛かっています。また、浜名湖と浜松市街地は実際には結構離れており、市街地から浜名湖への移動は、主に車かバイク(自転車含む)。
今回は市街地を中心にPhotowalkしましたが、浜松市をくまなく歩くのであれば、それこそ1日や2日では無理でしょう。湖、海沿い、そして山と、地形だけでも様々な表情を魅せる都市だと思います。
また、ここは日本が生んだ楽器メーカー『ヤマハ』の出身であり、本社が構えてあります。そこからの派生ということもあって、浜松は音楽の街としても知られており、街の至る所で、音楽にちなんだモニュメントが多く見かけられます。
ちなみに、浜松のマスコットキャラクター『家康くん』の袴は、ピアノの柄。ここにも、音楽の街としての小粋な装飾が窺えます。 ^^
しかしその一方で、約80万人という人口と擁していても、商店街の活気は何となくですが今一つ。当然、日曜日、ということもあるのでしょうけれど。折角の風光明媚な街並みでもありますし、静岡の西部ということもあって、名古屋へのアクセスもしやすい。誰もが楽しく暮らせるよう、発展をし続けていってほしいものです。
街撮りは、浜松城・浜松城公園、そして浜松駅の界隈を中心に行いました。
マスコットキャラクター『家康くん』にもあるように、浜松市の中心的存在である浜松城は、徳川家康の戦国末期時の居城。江戸時代以降、入城した譜代大名が出生したことから、『出世城』ともよばれ、また天守のお膝元にある浜松城公園は、市民の憩いの場となっています。公園としての規模は少々小振りながら、赤や黄色に染まった広葉樹と、常緑樹の緑のコントラストがとても美しかったです。
竹の小路で出会ったら、大砲レンズを構えたおじさんとも少し会話をしながらミニ撮影教室。さすが、ここに通い尽くしているだけあって、素晴らしい光景を写真に収めていらっしゃいました。 ^^
いつもは古い町並みを中心に選んだ街撮りをしているのですが、今回はどちらかというと現代都市を対象としたPhotowalkでした。とは言え、浜松のランドマークと言ったら『アクトシティ浜松』くらい。その他にもビルはあるものの、『高層ビル』というほどのものはありません。逆に言えば、市街地にビル群が集中しすぎない、調和のとれた街、という見方も出来ると思います。
今回のPhotowalkは市街地が中心であったものの、これだけ広大な都市であるのなら、当然浜名湖や北部の町にも行ってみたいもの。他にどんな表情を持つのか、好奇心がわきます。
最後に、日も暮れてきた頃だし、そろそろ帰りの用意をしようしたところで、浜松駅を挟んで南側の、『浜松科学館』へ。ここは、浜松市の身近な自然から宇宙に至るまで、幅広く科学について展示され、また物理現象を中心とした体験が出来る、いわば子供向けの施設となっています。
とは言え、大人でも十分に楽しむことが出来ます。
その中の、地中の微生物や昆虫を展示するコーナーですが…
何を思ったのか、そこに生きる生物を100倍にした、模擬生物が展示されており、さらにはそれが(単純挙動とは言え)動いているのでして。
つまりですね、100倍の大きさとなったムカデやらミミズやらダニが展示されているのです。これ、観覧した人にトラウマを与えませんかね。 (´∀`;)
『浜松』という都市名で、おそらく最初に浜名湖を思い浮かべるでしょう。ですが実際に地図を見てみると、浜松は南北に広く広がっており、特に北部は南アルプス山脈の南端に差し掛かっています。また、浜名湖と浜松市街地は実際には結構離れており、市街地から浜名湖への移動は、主に車かバイク(自転車含む)。
今回は市街地を中心にPhotowalkしましたが、浜松市をくまなく歩くのであれば、それこそ1日や2日では無理でしょう。湖、海沿い、そして山と、地形だけでも様々な表情を魅せる都市だと思います。
また、ここは日本が生んだ楽器メーカー『ヤマハ』の出身であり、本社が構えてあります。そこからの派生ということもあって、浜松は音楽の街としても知られており、街の至る所で、音楽にちなんだモニュメントが多く見かけられます。
ちなみに、浜松のマスコットキャラクター『家康くん』の袴は、ピアノの柄。ここにも、音楽の街としての小粋な装飾が窺えます。 ^^
しかしその一方で、約80万人という人口と擁していても、商店街の活気は何となくですが今一つ。当然、日曜日、ということもあるのでしょうけれど。折角の風光明媚な街並みでもありますし、静岡の西部ということもあって、名古屋へのアクセスもしやすい。誰もが楽しく暮らせるよう、発展をし続けていってほしいものです。
街撮りは、浜松城・浜松城公園、そして浜松駅の界隈を中心に行いました。
マスコットキャラクター『家康くん』にもあるように、浜松市の中心的存在である浜松城は、徳川家康の戦国末期時の居城。江戸時代以降、入城した譜代大名が出生したことから、『出世城』ともよばれ、また天守のお膝元にある浜松城公園は、市民の憩いの場となっています。公園としての規模は少々小振りながら、赤や黄色に染まった広葉樹と、常緑樹の緑のコントラストがとても美しかったです。
竹の小路で出会ったら、大砲レンズを構えたおじさんとも少し会話をしながらミニ撮影教室。さすが、ここに通い尽くしているだけあって、素晴らしい光景を写真に収めていらっしゃいました。 ^^
いつもは古い町並みを中心に選んだ街撮りをしているのですが、今回はどちらかというと現代都市を対象としたPhotowalkでした。とは言え、浜松のランドマークと言ったら『アクトシティ浜松』くらい。その他にもビルはあるものの、『高層ビル』というほどのものはありません。逆に言えば、市街地にビル群が集中しすぎない、調和のとれた街、という見方も出来ると思います。
今回のPhotowalkは市街地が中心であったものの、これだけ広大な都市であるのなら、当然浜名湖や北部の町にも行ってみたいもの。他にどんな表情を持つのか、好奇心がわきます。
最後に、日も暮れてきた頃だし、そろそろ帰りの用意をしようしたところで、浜松駅を挟んで南側の、『浜松科学館』へ。ここは、浜松市の身近な自然から宇宙に至るまで、幅広く科学について展示され、また物理現象を中心とした体験が出来る、いわば子供向けの施設となっています。
とは言え、大人でも十分に楽しむことが出来ます。
その中の、地中の微生物や昆虫を展示するコーナーですが…
何を思ったのか、そこに生きる生物を100倍にした、模擬生物が展示されており、さらにはそれが(単純挙動とは言え)動いているのでして。
つまりですね、100倍の大きさとなったムカデやらミミズやらダニが展示されているのです。これ、観覧した人にトラウマを与えませんかね。 (´∀`;)
2013/11/18
[Travel Writing] 深い信仰心が眠る島 - 後編
大分、長崎の旅の最終日の朝は、やや不安定な天気。青空が見える時もあるものの、時折ザッと降る雨。使いたくはなかったのですが、今日は傘が必要そうです。 (´∀`;)
(昨日も必要になるくらいの雨が降った時があったのですが、幸運にも傘を使う時はありませんでした)
とは言え、そんな一時的に雨が降るような天気であるからこそ、予想もしていなかった光景にも出会えたんですけれどね。旅の最後に見ることが出来た光景として、こんなに素敵な贈り物をいただけたのは、ある意味幸運だったのかもしれません。
今日も、午後は友人に案内いただいて、福江島の、特に堂崎教会のある奥浦を回ることにしました。それまでは、五島市街地を、その生活の営みを写真に収めながら歩きました。
五島市の人口は4万人強(2010年国勢調査より)。1970年には7万人近くいたのですが、そこから減少傾向に走っています。街を歩くと、とても発展した街のように思います。特に福江港は漁港として、大小さまざまな施設があり、船も多く停泊。
しかし、街を歩くと、ところどころでシャッター街が。この日の前日は日曜日だから、ということもありシャッターが降りていた店も多くありましたが、週が始まってもちらほら。今はまだ子供や学生も多いし、街を歩けば賑わい、活気を肌で感じることが出来るのですが、もしそういった子供たちも大きくなって、より大きく賑わう街を求めて都市部へ移動すれば、島に残るのは年老いた方々だけに。現在、五島市の人口に対する65歳以上の割合は3割強。それが数十年後には5割。全人口の半分が65歳以上になる、という計算になるそうです。
友人から聞くその話は、別に五島市だけの問題ではなく、他の島、そして街でも聞かれることです。決して他人事ではない。人口に対する高齢者の割合が増えていくのは、発展した国、都市としての宿命とはいえ、これまで培ってきたその街ならではの文化や伝承といったものが薄れ、途切れてしまう可能性というのもあります。そういったこれから起こる事象を踏まえ、これから出来ること、どのような選択を取るかを、考えさせるきっかけにもなります。
福江島と言う、西の端にある島であるという特徴から、この島には宗教に関する様々な伝承が多くあります。その中でも特に、『長崎の教会群とキリスト教関連遺産』にもある通り、キリスト教に関するものが多く占められているのはご存知の通り。他にも、遣唐使の寄泊と、その過程における仏教の伝来についてもいくつかあります。宗教の伝来、もしくはその中継地点としても、この島は重要な位置を示していたんですね。
とは言え。これらの教会が、実際のところは五島列島の各地にこれほどまでに散りばめられているとは、ちょっと予想外でした。もちょっと市街地に集中しているという手前勝手な目論見が… (´∀`;)
さらに、五島列島の島々も、人が住んでいる住んでいないに関わらず大小さまざまある、というのはご案内した通り。そんなたくさんの表情を魅せる島を、たったの1泊2日で済ませてしまったのは、今回の旅の唯一の後悔したところでもあります。
とは言え、今回の五島市の最大の目的は、友人と昼食を食べること。それが果たせただけでも個人的には大満足。 (´∀`)
この日、最後に訪れたのは堂崎教会。明治6年に建てられたレンガ造りの教会で、現在は教会としての機能はカトリック浦頭教会に移し、堂崎教会は資料館として公開されています。
中には、これまでの豊臣~徳川の政権によって迫害され、苦渋の毎日を過ごしていたことが窺えます。そんな中でも、己の信仰を守るために、あるいは姿を微妙に変え、あるいは巧妙に隠し通すなど、数百年にもわたる頑ななまでの信仰心が感じられます。
しかし因果なことに、世界では、キリスト教は時と共にその姿を変え、頑なに守ってきた姿や方針は、キリスト教が公に認められた時には明治以降、人々を愕然とさせるに至ったわけです。ある人は、その変わった方針に従う人もいるわけですが、それでも、自分たちが守ってきた方針を今でも守っている人もいるわけで、それだけ、自分の心の拠り所である宗教がどれだけ重要な位置を占めているのかが感じられます。
福江から長崎経由で東京へ。帰る際、友人から五島市の名物五島うどんをお土産にいただいました。普通、麺通しがくっつかないようにうどん粉をまぶすわけですが、五島うどんはそれに椿油を使っているとのことで、喉越しもつるつる、食感もモチモチ、本当に美味しいうどんです。
この2日間も含め、改めて御礼申し上げます。
福江島を離れ、長崎空港で東京へ向かう中、既にアンニュイな気持ちが。感動する光景や思わぬところで色々な人と交わり、楽しいひと時を過ごせただけに、離れるのは本当に寂しいなぁ、と。
しかしこういう時は、ちょっと気持ちの切り替えをしています。これは永遠の別れではない。これが出会いの始まりである。生きている限り、また会うことが出来る。それが、次の楽しみにつながる。そう思いながら、長崎を離れたのでありました。
(昨日も必要になるくらいの雨が降った時があったのですが、幸運にも傘を使う時はありませんでした)
とは言え、そんな一時的に雨が降るような天気であるからこそ、予想もしていなかった光景にも出会えたんですけれどね。旅の最後に見ることが出来た光景として、こんなに素敵な贈り物をいただけたのは、ある意味幸運だったのかもしれません。
今日も、午後は友人に案内いただいて、福江島の、特に堂崎教会のある奥浦を回ることにしました。それまでは、五島市街地を、その生活の営みを写真に収めながら歩きました。
五島市の人口は4万人強(2010年国勢調査より)。1970年には7万人近くいたのですが、そこから減少傾向に走っています。街を歩くと、とても発展した街のように思います。特に福江港は漁港として、大小さまざまな施設があり、船も多く停泊。
しかし、街を歩くと、ところどころでシャッター街が。この日の前日は日曜日だから、ということもありシャッターが降りていた店も多くありましたが、週が始まってもちらほら。今はまだ子供や学生も多いし、街を歩けば賑わい、活気を肌で感じることが出来るのですが、もしそういった子供たちも大きくなって、より大きく賑わう街を求めて都市部へ移動すれば、島に残るのは年老いた方々だけに。現在、五島市の人口に対する65歳以上の割合は3割強。それが数十年後には5割。全人口の半分が65歳以上になる、という計算になるそうです。
友人から聞くその話は、別に五島市だけの問題ではなく、他の島、そして街でも聞かれることです。決して他人事ではない。人口に対する高齢者の割合が増えていくのは、発展した国、都市としての宿命とはいえ、これまで培ってきたその街ならではの文化や伝承といったものが薄れ、途切れてしまう可能性というのもあります。そういったこれから起こる事象を踏まえ、これから出来ること、どのような選択を取るかを、考えさせるきっかけにもなります。
福江島と言う、西の端にある島であるという特徴から、この島には宗教に関する様々な伝承が多くあります。その中でも特に、『長崎の教会群とキリスト教関連遺産』にもある通り、キリスト教に関するものが多く占められているのはご存知の通り。他にも、遣唐使の寄泊と、その過程における仏教の伝来についてもいくつかあります。宗教の伝来、もしくはその中継地点としても、この島は重要な位置を示していたんですね。
とは言え。これらの教会が、実際のところは五島列島の各地にこれほどまでに散りばめられているとは、ちょっと予想外でした。もちょっと市街地に集中しているという手前勝手な目論見が… (´∀`;)
さらに、五島列島の島々も、人が住んでいる住んでいないに関わらず大小さまざまある、というのはご案内した通り。そんなたくさんの表情を魅せる島を、たったの1泊2日で済ませてしまったのは、今回の旅の唯一の後悔したところでもあります。
とは言え、今回の五島市の最大の目的は、友人と昼食を食べること。それが果たせただけでも個人的には大満足。 (´∀`)
この日、最後に訪れたのは堂崎教会。明治6年に建てられたレンガ造りの教会で、現在は教会としての機能はカトリック浦頭教会に移し、堂崎教会は資料館として公開されています。
中には、これまでの豊臣~徳川の政権によって迫害され、苦渋の毎日を過ごしていたことが窺えます。そんな中でも、己の信仰を守るために、あるいは姿を微妙に変え、あるいは巧妙に隠し通すなど、数百年にもわたる頑ななまでの信仰心が感じられます。
しかし因果なことに、世界では、キリスト教は時と共にその姿を変え、頑なに守ってきた姿や方針は、キリスト教が公に認められた時には明治以降、人々を愕然とさせるに至ったわけです。ある人は、その変わった方針に従う人もいるわけですが、それでも、自分たちが守ってきた方針を今でも守っている人もいるわけで、それだけ、自分の心の拠り所である宗教がどれだけ重要な位置を占めているのかが感じられます。
福江から長崎経由で東京へ。帰る際、友人から五島市の名物五島うどんをお土産にいただいました。普通、麺通しがくっつかないようにうどん粉をまぶすわけですが、五島うどんはそれに椿油を使っているとのことで、喉越しもつるつる、食感もモチモチ、本当に美味しいうどんです。
この2日間も含め、改めて御礼申し上げます。
福江島を離れ、長崎空港で東京へ向かう中、既にアンニュイな気持ちが。感動する光景や思わぬところで色々な人と交わり、楽しいひと時を過ごせただけに、離れるのは本当に寂しいなぁ、と。
しかしこういう時は、ちょっと気持ちの切り替えをしています。これは永遠の別れではない。これが出会いの始まりである。生きている限り、また会うことが出来る。それが、次の楽しみにつながる。そう思いながら、長崎を離れたのでありました。
2013/11/17
[Travel Writing] 深い信仰心が眠る島 - 前編
秋の九州の旅の最終目的地は、長崎から西へ100km、大小合わせて140あまりの島々から構成される五島列島最大の島、福江島へ。長崎から飛行機かフェリー(もしくは高速船)で渡ることが出来ますが、比較的欠航の少ない飛行機で渡ることにしました。
きっかけは、そこに住む友人の、SNS上の投稿から。
しかもその投稿は、単に「昼飯食いに来いよ」的な内容でして、普通なら東京に住む人間が昼飯食うためだけに五島へ行くのはもはや道楽中の道楽。というか、一般サラリーマンの当方としてはまずもってあり得ない行動です。しかし、竹田~軍艦島の旅程を組んでいる中で、たったの1泊2日くらいで、折角の九州の旅をそのまま帰るのは勿体ない、かつて3か月連続で九州を行ったり来たりする(それも仕事ではなく私用の旅で!)という、バカな金の使い方になりかねない。どうしよう… と思案していた時の投稿でしたので、すぐさま食いついたのでゴザイマス。 (´∀`;)
当初は、五島市の市街地を中心に、レンタサイクルで回れるところを回って写真に収めていこうかな、という計画でしたが、まさかその友人が、2日間予定を空けていただいているとは思いもせず。島内巡りをご一緒していただいたのです。おかげさまで、自転車では周遊しきれなかったところまで色々と回ることが出来ました。
ということの見返り、というわけではないのですが、福江空港に到着するや否や、まず最初に訪れたのが、香珠子海水浴場。既に11月の冷たい海水で、当然海水浴をするわけではなく(というより濡れてもいいもの持ってきてない…)、やったのは海岸清掃。
しかし当方、学生時代に海岸清掃のボランティアをやっていたこともあり、何ら抵抗もなくあっさりと受諾。とはいえ、到着した時にはあらかた綺麗になっていましたので、あまりすることなかったのですが… (´∀`;)
まぁそこは、無駄に培った体力を使って、撤収作業に勤しんだわけです。
撤収作業が終了し、作業に携わった人たちを囲って豚汁で打上。打上終了後、友人の車に乗せていただいて、島を周遊して回りました。
ご存知の通り、長崎の五島列島は特に教会の多い場所。九州の、さらに西の地方にあるという土地柄もあってか、隠れキリシタンが迫害から逃れるように住む場所だったため、大小さまざまな教会が建てられています。とは言え、それらの多くは、宗教の自由が保証された明治以降のものばかり。まぁ単純に建物だけを見ればそれまでですが、迫害によって苦しんできた隠れキリシタンの、何十年に渡る隠匿の生活は、想像以上に厳しく、筆舌しがたいものがあります。
それを今も色濃く残している史料が、堂崎教会にあるのですが、それは明日回ることにします。
それと同じく興味深かったのが、福江島が織りなす自然と、政治的・軍事的の背景。特に後者は、単に『興味深い』という言葉では片づけられない、というより、むしろそんな言葉で表す方が失礼な部分も含まれていたりします。
一口に福江島と言っても、その海岸線の成り立ちや気候は様々。堂崎教会のある奥浦や大瀬崎灯台がある玉之浦は、リアス式海岸。入り組んだ海岸と切り立った崖、ごつごつした岩肌。外海の荒波にさらされて出来上がった自然の産物は、その自然の恐ろしさを象徴するに容易いものがあります。かと言って、頓泊海水浴場のように、穏やかでしかも干潮になると沖の方まで歩いていける、つまり満潮になっても、子供でも結構な沖の方まで行くことが出来るところまであったりします。多様な海岸の趣を一度に感じる、稀有な例でもあると言えます。
そんな風土だからか、何と本土では希少で絶滅危惧種にも指定されている生物が、なんとここで豊富に生息している、なんてことも。そんなこと、その友人に案内してもらわなければ、絶対に分からなかったことです。
あ、勿論無断で採取・捕獲は禁止されておりますので悪しからず。
同じく、友人から聞いた話で興味深かったのが、福江島の政治的・軍事的な立ち位置。詳しい話はこのBlogでは避けますが、聞けば聞くほど、そんな話は東京では聞かない、ネット上ですら、注意深く探らない限り、トピックスにすら挙がらないものばかり。興味深かったことと裏腹に、自分の現在の情勢の無知っぷりに愕然としたものです。
でも、それらの情報がたとえ目にし耳にしていたとしても、きっと「ああ、そうなんだ」と単なる情報取得だけに終わっていたような気がします。これは、現地に行かなければ実感出来なかったこと。何て言っても、福江島のすぐそこは東シナ海。外国からの様々な影響を一番に受けるところなのです。東京でのうのうと生きているだけでは、分からないものがあります。
とは言え、毎日が緊張の連続ではそれこそ精神上よろしくありませんので、福江に住まう皆さんは本当に大らか。そして、その島に住む人たちならばこその、芯の強さがあるように垣間見えました。
夜は、一度ホテルにチェックインした後、友人のお勧めのお店で夕食。福江島で獲れた魚に舌鼓を打ちながら、秋の夜長を楽しみました。
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