2013/07/26

[Review] 風立ちぬ

「風立ちぬ、いざ生きやめも / Le vent se lève, il faut tenter de vivre」

人生は風。時に穏やかに、時に荒々しく風は吹く。吹く風に乗って、人は懸命に、限りある生命の限り、夢中に生きる。では、その風が止んだら     
夢中に生きる者には、懸命に生きる者には、いつかその風が止むことを知っている。風が止んだ時、その夢は終わる。全身と全霊を込めて捧げてきたものが終わる。それでも生きなければならない時、人は何を思うのだろう。何を求め歩んでいくのだろう。

少年は夢を見ていた。飛行機に乗って大空を舞う夢。しかし少年はその夢は、自らの近眼により閉ざされる。しかし少年の飛行機に向ける夢は収まらない。そこで見出したのが、飛行機の設計技師。少年が進むべき夢が定まった時、少年に風が吹く。その時から、少年は夢中の中を生きる。そして少年は信じていた。自らの設計した飛行機が、自由に大空を舞う時を。夢の中で憧れの人がが発案した飛行機が、たとえそれが荒唐無稽であろうとも、自由に空を翔けるように。
しかし時代は、そして周囲の環境は、決して自分の思うどおりにはいかなかった。いかせることは出来なかった。それでも少年はひたすら前を向いた。自分の夢が叶うまで。その夢の過程で、多くの絶えた夢の残骸がうず高く積まれているのを目の当たりにしようとも。



少年の名は、堀越二郎。零戦艦上戦闘機の生みの親とも言われている、同名の堀越二郎がモデルで、また舞台の時代も、彼が生きた明治から昭和を描いています。彼の飛行機に対する情熱は幼少の頃から凄まじく、それこそ、構想から設計、操縦に至るまで、飛行機の『全て』を自分のものにしたい、という願いがありました。近眼が災いして操縦飛行の夢は潰えるも、飛行機『全て』に対する情熱は潰えることなく、彼の人生の支えになります。類稀なる才能と努力で、数々の飛行機の設計に携わっていきます。

が。
時代が求めているのは、空を自由に翔ける夢の乗り物ではなく、国を勝利に導かせるための戦闘機。自分の能力が如何なく発揮できる現場でたたき上げられるも、自分の望みどおりに行かないことに対するジレンマを常に抱えながら、それでも突き進むべきはこの道だ、と、半ば無理やりにでも自分自身を鼓舞したのでしょう。
しかし、夢の中で出会う、憧れの人であるジャンニ・カプローニは、自分の才能が発揮できる時間は非常に短いことを告げる。その先、自分の望む飛行機(彼にとっては世界そのもの)が描けるかどうかの保証が出来ない。伴侶とした菜穂子の生命が残り少ないのと同じように、世界を描くことが出来る『力』にも寿命がある。短い短い寿命。それを知った上で、いや知っているからこそ、後戻りすることは出来ないからこそ、ただまっしぐらに突き進む姿は、確かに『狂気』とも捉えられるかもしれません。
そしてその『夢中』や『狂気』が、作中では『風』として表現され、その『風』が、順風満帆に吹く時よりも、『止んだ』時の主人公の何とも遣る瀬無い表情に、目を見張ってしまったのは言うまでもありません。

何か(その『何か』がなんであれ)に『夢中』に生きる者は、常にその『狂気』と隣り合わせであるというのは、僕にも経験があります。自他共に。そしてその『夢中』という視野の狭い世界の中で、見えるものも多くあるけれど、見失った、通り過ぎてしまった時の喪失感もまた大きい。「僕達には時間が無いんです」という台詞が、その大きさを物語っているようにも思います。


宮崎駿監督の作品は、どれも『夢を追いかける』ことを主軸とした作品が多いけれど、必ず単なる『夢見る物語』『夢中の物語』に終わらせることなく、現実社会に即し、そして現実と向き合わせるためのエッセンスが込められています。文明を求めすぎたが故の破壊と滅び、夢見る少年少女が現実を生きる時の活路、大いなる流れの中で生かされている意味。
この作品は、そう言った『理想』と『現実』はどの作品と比べても非常にはっきり描かれ、しかもファンタジーではなく実際に起こった世界を舞台にしているからこそ、観る者に訴える力が、それこそダイレクトに近い形で伝わるのではないかと思います。置かれた時代と状況の中で、苦しいながらもそれでも生き生きとして、風の吹くままにではなく、その吹く『風』こそが、自分の生き様である、と。

全ての人がそう言った生き方が出来るわけではありませんが、全ての人に等しく『生き様』としての『風』が吹き、それを捉えるチャンスがある。でもその『風』は死ぬまで吹く保証は無く(勿論『死』が『風』の止む時にもなりうる)、その能力を如何なく発揮すればするほど、その人にとって『風』が『止む』瞬間というのを誰よりも怯える。
「視野の狭さは夢中に生きる者の特権」という言葉もあります。視野の狭さは言葉で表すだけでは否定的に捉えられがちだけれど、その『夢中』が自分の生きる『風』であれば、これほど幸せなことは無いのかもしれません。勿論、人の幸せを一概に括り付けることは出来ませんが。

『風』が吹き続ける限りは、ひたすら前を向いて歩き続けなさい。その過程で残酷な現実が待ち受けていようとも、それが貴方の選んだ道であるのなら。環境にも恵まれ、惰性に生きがちな現代であるからこそ、自分の『生き方』『生き様』を見据える機会にもなれる、そんな作品のようにも感じました。



『風立ちぬ』 公式サイト

2013/06/22

[Travel Writing] 茅葺の長閑な里

京都と言うと、やっぱり一番最初に思い浮かべるのが、世界遺産にもなっている京都の社寺。その多くが、京都市街地や宇治の方に集中しており、海外から訪れる観光客も、やはり京都市街地の社寺を中心に回っているのを多く見かけます。それはそれでとても素敵なのですが、京都市街から抜けて、山間部の方へ行っても、心が安らぐとても素晴らしい場所があります。
南丹市美山にある『かやぶきの里』もその一つです。



今回『かやぶきの里』への旅は、ツアーを組んでいきました。とは言っても、亀山駅もしくは園部駅からバスで『かやぶきの里』へ行き、到着したら自由行動。じっくり里山を散策し、写真撮影に精を出していました。
亀山駅への道程は、初めてトロッコ列車を利用しました。1989年にルート変更された山陰本線の嵯峨嵐山~馬堀間の旧路線を活用したもので、保津峡沿いを走る観光路線として生まれ変わった路線です。トロッコ列車ですので、基本的に窓ガラスはありません。晴れていれば心地よい風をそのまま感じることが出来ますが、当然雨が降れば、雨粒が車内に降り注ぎます。それはそれで一興、ということで。 ^^;
トロッコ嵯峨~トロッコ亀山間という短い間ではあるものの、峡谷の中の列車、そしてそこから見える光景は、普段の忙しい日常を忘れさせるには十分すぎるくらいでした。このトロッコ列車は、途中途中でライトアップ用のライトが設置され、紅葉の季節になると、朱に染まった紅葉を灯りが煌々と照らし、幻想的な光景を見せるのだそうです。個人的には、紅葉の季節よりはこういった新緑の季節の方がいいのかな、と。


トロッコ亀山駅からバスに乗り換えて、園部駅を経由して『かやぶきの里』へ。滞在時間は約3時間半。短いと思っていましたが、だからこそ、くまなくじっくりと園内を散策してきた次第です。



美山は、現在は南丹市に合併されていますが、かつては京都府内の町村の中で最も大きな面積を持つほどの町で、豊かな緑と清らかな水に囲まれている風景は、今なおその姿を留めています。また、日本の農村の原風景ともいえる風景が色濃く残ることから、茅葺き民家の集落は国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
折しも初夏の季節、まだ咲きそろうには至っていないものの、色鮮やかな紫陽花と、朱に染まった鬼灯がお出迎え。時折、弱い雨が降り注ぐ様子が素晴らしく、基本的に雨はあまり撮影には向かないものの、雨だからこそ感じられるその風景は、写真に収めるには絶好の光景だったと思います。 ^^

余談ですが、この時初めて、撮った写真に『香り』を伝えることが出来ないか、と考え始めた次第です。荒唐無稽な話かもしれませんが。雨の降り注ぐ写真を見ただけで、梅雨ならではの香りが伝わる… そんな1枚。当然、自分自身はそれを感じたからこそ写真に収めたわけで、それを伝えることが出来なければ意味が無いわけです。それも、何も情報を伝えられていない人に対してもダイレクトに伝わるような…
ただ美しい写真を撮るだけでなく、それに何を込めるか、撮れば撮るほどそのテーゼが身体の奥底から湧き出、その都度悩み苦しむわけになるのですが。 ^^;



『かやぶきの里』を散策中、小さなギャラリーを発見しました。『ちいさな藍美術館』。藍染作家、新道弘之氏のコレクションが展示され、また彼の工房ともなっています。
茅葺の家を改装して作られたギャラリーのため、美術館としては狭く、展示品もお世辞にも多くは無いかもしれません。が、彼の作った作品の一つ一つが、とても素朴ながらも、丁寧で、繊細で、一つ一つの作品にとても真剣に向き合っているのが伝わってきます。古くから、世界中で愛されている藍染。小さいながらも、その大きな歴史の流れと共に、美しい作品の数々に触れることが出来た瞬間でした。


今回の旅は、ツアーということもあって行動範囲も狭く、南丹市でもまだまだ数多くの見どころ、地区ならではのスポットがあるのですが、今回はここまで。こういった歴史ある集落以外にも、「京都は何も市街地の社寺だけじゃないんだぞ!」と言わんばかりのところが数多くある、そんなことを感じることが出来た旅でもありました。

2013/06/08

[Travel Writing] 様々な顔を持つ水の豊かな街散策

「現存十二天守を全て見て回ろう!」

という気持ちが以前からあったわけではないものの、日本の城址を巡り、またその趣味をお持ちの方々との交流を深めていくうちに沸々と湧き上がっていきまして。湧き上がっていた時には既に現存天守は半分以上廻っていたのですが。 ^^;
2001年に訪れた、愛媛県 松江城を筆頭に10数年、ようやくその念願が叶いました。最後に回った現存天守、福井県坂井市 丸岡城です。


事前に、見た目ほど大きくない、という情報を入手しておりましたので、それほどガッカリ感は無く。ただ、天守内に入るならともかく、敷地内に入るにも300円は… というのが正直な感想。まぁでも重要文化財ですし、城の敷地全ての保護のため、と思えば、と。 ^^;
丸岡城はご存じの通り桜の名所でもあります。故あって桜の季節に行くことは出来ませんでしたが、5月下旬~6月は、赤を基調とした美しい皐月がお出迎え、桜ほどの華やかさは無いものの、それでも、城を美しく彩っていました。


丸岡城訪問がメインの目的の一つであるものの、見物してじゃぁさようなら、というのもつまらない。やはり来たからには、もっと色々と見て回りたいなぁ、よし、坂井市の街撮りしよう! ということで、電車やバスを乗り継いだり、歩いたりしながら坂井市をPhotowalk。今回特に注目したのが、
  • 丸岡~春江に広がる田園風景
  • 三国の古い街並み
  • 東尋坊
です。




360度、視界いっぱいにどこまでも広がる田んぼ。田植えが終わったばかりのようで、どこの田んぼにも水が一面に湛えてありました。上空に広がる青空が水面に移り、初夏の爽やかな風を受けて、植えたばかりの稲の若葉が気持ちよさそうに揺れていました。
季節は、春から夏へ。少し湿気を含んでいるものの、気持ちの良い風が心地よく吹き抜けます。やはり稲作の町だからか、街中を歩くと、至る所に水路が張り巡らされ、滔々と水が流れています。この季節ならではの風景。水の豊かな町、という印象を受けました。

丸岡駅で電車に乗り、芦原温泉でバスに乗り換えて三国へ。三国でレンタサイクルを借りて、まずは東尋坊方面へ。
レンタサイクルは福井市内と三国(~東尋坊)の方しかなく、丸岡・春江界隈では無いんですよね。そう言えば、バスの路線図を見ても、丸岡・春江界隈は全くの運行しておらず。需要が無いのかな? 他には、福井もしくは芦原温泉~三国でレンタカーを借りて回る、という方法が挙げられますが、いずれにしても交通面で空洞が出来てしまったいるのがちょっと不便に感じました(そういう街づくりを目指しているのならいいのですが…)。

実は東尋坊は今回が2回目。前回は、どんよりとした厚い雲に覆われて、見るも何ともさびしい感じがしましたが、今回は青空の下、清々しい空気の中で東尋坊の景勝を見て回ることが出来ました!
……が、日も上がり、海岸沿いは松林にでも入らないと日差しを避けるところが無いので、暑いこと暑いこと… (´д`)
僕は暑いのは慣れていますし好きですが、当然それにずっとひたっているほど頑丈な身体づくりでもありません。日焼け対策は万全に。あと、東尋坊タワーを始めお休み処はいくつかありますから、そこで涼をとるのもいいかもしれません。
あ、東尋坊タワーは上りませんでした。一回目に訪れた時の率直な感想「大して面白くなかったから…」 (・ω・)

前回は東尋坊止まりでしたので、今回はさらに自転車を走らせて、雄島~越前松島へ。ここでも、松林の中でなければ、自転車を走らせている中でモチベーションが挫かれていたかも… ^^;
それにしても、東尋坊や越前松島といい、本当にこの海岸線は奇岩ばかりで。地学大好き(高校の専攻は生物(←聞かれてない))人間としては、その地形の出来上がり方、ひいては地球の鳴動に、ただただ息を呑むばかりでした。特に東尋坊は、海食によって岩肌が削られ、30m近い岩壁や岩の柱が続くのですが、東尋坊ほどの規模を持つところは世界的に珍しく、地質学的にも重要な場所なのだそうです。ジオパークにも登録されていそうな場所かと思いましたが、意外にも登録はされておらず。何か条件でもあるのでしょうかね… とはいえ、福井県には勝山市に『恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク』があります。次はここを訪ねてみようかな、と思います。

これだけの風光明媚な場所であるにもかかわらず、東尋坊は自殺の名所と言う不名誉な謂れがある、というのは確かです。自殺を考えている人に、もう一度家族と連絡を取ってほしい、大切なものは何かを見つめ直してほしい、ということで、電話BOXが設置され、そこには、自殺予防相談場所への連絡先と、常に通話が出来るように、と十分な数の10円玉が。政府や自治体も、自殺予防に様々な対策を打って出ていますが、それでも限界はあり、企業や家族の努力も併せて必要になるんだろうな、と考える今日この頃です。


しかし、越前海岸の自然の造形美にうっとりしているうちに、容赦なく時間が過ぎ、いつの間にやら帰る支度をしなければならない時間に!
まだ三国の街並みを十分に堪能していないのにー!
急いで三国湊町に戻り、残り少ない時間を使って界隈散策。しかし、思うようにじっくりと見ることが出来なかったのは、僕の時間管理不足の致すところ。また今回もやっちまったか… と反省しきりです。
江戸から明治にかけて、越前の港町として栄えた三国。その時代の商家や社寺の面影が、そこかしこに覗いています。単に、田畑や自然造形の美しさだけではないんですね。地区によって様々な様相を見せる、というのも、坂井市の魅力的なところではないかと思います。



丸岡城 (Maruoka Castle) 東尋坊 (Tojinbo)
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2013/05/27

[Travel Writing] 清流を追う - 屋久島旅 後編

屋久島の旅最終日。この日は、登山でもトレッキングでもなく、自由散策の日に充てることにした。
これまでは森林や屋久杉の登山道をメインに歩いていたが、今日は滝を始めという水の巡りを見て回ろうと思った。地図を見たところ、滝スポットは海の沿岸沿いに多くありそうだ。あまり山の方へは行かない。屋久島をぐるっと囲む環状道路からでもゆっくり散策できる滝スポットを中心に廻ろうと思った。

が、朝起きてからの雲行きが怪しく、山側はすっぽり霧と雲で覆われている… 散策前に空港に寄ったり、情報を収集したところ、屋久島・種子島~奄美諸島界隈で霧が濃く、また天気が崩れる見込みで、飛行機の利発着も条件付きらしい。既に帰りの便は予約済みで、翌日からは普通に仕事なのに… (´д`)
今のところ、屋久島発着の飛行機は無事飛んでいるようなので、帰りの便は無事飛ぶことを願おう。鹿児島空港は比較的天気が安定しているため、鹿児島にまで出れば何とかなりそうだ。



まず行ったのは『大川の滝』。屋久島空港から見て島のほぼ正反対にある。出発時は濃い霧がかかっていたのに、島の反対側は、やや雲がかかっていたとはいえ概ね晴れていた。太陽の光が燦々と降り注ぎ、滝の水しぶきもキラキラと輝いていた。『大川の滝』は、屋久島の中で最も落差がある滝だそうだ。それが目の前にまで迫っている。カメラのレンズに付着するのは、滝の水しぶきか、山からくる霧の水滴か。いずれにしても、日差しの照りつける暑い最中でも、爽やかなひと時を過ごすことが出来た。
まぁ何より、島の反対側でガラっと天気が変わるというのも、またとない体験となった。『洋上のアルプス』とはまさにこのこと。山が、上空の雲をせき止めていたのではないかと思う。


今回は、島の下半分を中心にバス巡りをした。島内を巡るバスとはいえ、反対側まで行けばそこそこお金もかかる。屋久島空港から『大川の滝』まで、片道1,500円近くかかった。もし、終日バス移動することが分かっているのであれば、予め1日周遊パスを手に入れていた方がよさそうだ。 (´∀`;)

『大川の滝』の次は、『千尋の滝』と『トローキの滝』へ。どちらも、屋久島ボタニカルリサーチパークからアクセスすることができる。『千尋の滝』は、少し坂を登ったところにある。大体2kmくらい。時々勾配のきつい坂道があるものの、基本的に『千尋の滝』までの道程は舗装されているし、車でも行くことが出来る。
先ほどの『大川の滝』では晴れていたものの、『千尋の滝』や『トローキの滝』がある島の南側は濃い霧が発生していた。これもまた、滝の違った様相を醸し出している。幽玄な姿を見ることが出来る。これもまた、屋久島が織りなす自然の一つ。

今回の水の旅は、屋久島内を流れる滝にフォーカスを当てたが、もし次に来る機会があれば、今度は海に着目してみようと思う。海洋環境、海洋生物… 屋久島の美しさは、何も山だけではない。山も、海も、世界の人々を魅了するだけのものが沢山あると思う。



屋久島ボタニカルリサーチパークで植物観賞の後は、昼食を摂って帰路への準備。屋久島ボタニカルリサーチパークは、月曜日という平日の人がほとんどいない状況だからか、園内観賞の後、案内の人からフルーツをごちそうしてもらった。中でもびっくりしたのが、アセロラの刺身! 醤油につけると美味しいらしい。アセロラのしゃくしゃくとした歯ごたえと、ねっとりとした舌触り。そして醤油の味付け。何とも不思議な味わいだったが、これはこれでアリかもしれない。

さて、飛行機はというと。
無事屋久島空港を飛び立って鹿児島空港へ。トランジットで乗り換えて無事東京に辿り着くことが出来た。後で調べたことだが、隣の島であるにも関わらず、種子島は午前の往復便を除いてその後全ての便が欠航。奄美諸島も欠航が相次いだらしい。屋久島だけ、終始就航していたそうだ… この差は一体なんだろう。 (´∀`;)
そして、いつも旅から帰ってくると、充実した日々を過ごしたという達成感は勿論だが、一抹の寂しさも伴う。しかし、その寂しさがいつも以上に大きかったのを覚えている。それだけ思い入れが強い場所だったのだろう。また行きたいと思った場所の一つとなった。



屋久島ボタニカルリサーチパーク (Yakushima Btanical Research Park)
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2013/05/26

[Travel Writing] 数千年の息吹 - 屋久島旅 中編

出発は、朝の4時。この時間に登山口へ向かうバスが出ている、というのは、まず都会でもあり得ない。それもそのはず、縄文杉への登山にかかる時間がそれを物語っている。
縄文杉への登山の入り口の一つである荒川登山口から縄文杉までの道程は、片道5時間。帰りのバスの時間の関係もある(通常は夕方で終了)。もし日帰りで登山し、夜にホテルに戻るとか、鹿児島へ戻るなどの行程を組むならば、自ずと早朝に出発し、午前中、少なくとも昼前には縄文杉に到着、そのまま戻らなければならない。結構ハードなスケジュールだったりする。 ^^;

ホテルのオーナーの話によると、最短記録は往復で2時間半~3時間だったとか! つまりそれくらいの足早(というかほとんど走る勢い)で行けば、縄文杉より先の宮之浦岳の山頂まで行くことが出来そう。
が、その行程は縄文杉に到達するよりさらに厳しそうで、願望はあるものの、そこまでの装備を持っているわけでないので、今回は断念した。当然のことながら、撮影しながらの登山だったので、そもそも縄文杉まで到達するのに4時間半かかったのだ。また、登山口から縄文杉までの行程は、登山と言うよりトレッキングのイメージ。しかし勾配は白谷雲水峡のそれよりきついところがある。登山道は整備されているし、急勾配を登る為のロープや梯子等は無いものの、慣れていないと少々きついかもしれない。
ペースを守って、しかも宮之浦岳にまで登山するというのであれば、出発は真夜中、もしくは途中にある山小屋に泊まる、という行程を組んだ方がよさそうだ。
余談ではあるが、登山道によっては急勾配を登る為のロープが設置されている箇所もある。半ばロッククライミングのように登る場所と言ってもいい。このような場所があるから、本格的な登山を色々な場所で楽しむならば、やはり単独での行動ではなく、複数人でパーティを組んで登山をした方がよさそうだ。



昨日の白谷雲水峡は、優しい木漏れ日の差す晴れの日に行った。森の中に柔らかな雰囲気と光に包まれていたのを覚えている。一方、縄文杉への登山は、雨の日に決行した。実際には雨というよりも深い霧に包まれた日だ。すると、森の雰囲気が一転する。
薄暗い。幽玄。不気味。触れがたい。
光り輝く森は、とても柔らかでまだ親しみやすかった印象があった。しかし、今日の森は、違う意味での神々しい雰囲気を感じる。まるで触れてはならない、近寄りがたい、恐ろしい。そんな空気が一面を包んでいたのだ。何だか、とんでもないところに足を踏み入れたものだ。 ^^;

荒川登山道からウィルソン株の1km弱手前まで、トロッコ道が続く。このトロッコ道は、屋久島で伐採した杉の運搬、山道に住む人たちの交通(生徒の通学、主婦の買い出し 等)に使われていた。現在、山道に住んでいる住民はおらず、全く使っていない様にも見える。しかし聞いた話によると、まだ利用されているところもあるらしい。が、その使用頻度はもう年に数える程度だろう。是非、この行程中に見たかったが流石に見ることが出来なかった。

ウィルソン株を過ぎ、屋久杉へ向かう足を進める。一層霧が濃くなる。濃い霧に覆われた森の雰囲気が、恐ろしくもあり、それだからなのか、目を奪われるほどの美しさも際立っている。時間もそんなにあるわけでもないのに、夢中になってシャッターを切っていた。
そして屋久杉到着。到着時間は10時。荒川登山口を出発したのは朝5時半だから、4時間半かかったわけだ。予定ではもうちょっと早くの到着を見込んでいたが、さすがに時間がかかってしまった。途中途中で写真を撮っていたから仕方がないとはいえ… でも、そんな風に周囲に目を配りながら、じっくりと自然を感じなければ、きっと屋久島の旅も面白さ半減していたし、後悔も多かっただろう。だから、それはそれで満足している。

縄文杉へ到着した。それまで、縄文杉まで立ち入ることが出来、幹に抱き着くことが出来たのだが、杉の保全や周囲の草花の踏み荒らし防止を考慮して、立ち入ることが出来なくなっていた。
更に、隣接する2つの展望台もそのうちの一つは立ち入りが禁止されている。というのも、杉があまりにも高齢になっていること、幹に腐敗が認められること、縄文杉の枝に寄生する植物の重さなどから、いずれ縄文杉が倒れる可能性がある、ということなのだ。いつ倒れてもおかしくないらしい。
屋久島のスポットの一つであるとは言え、やはり生きている樹。いずれは倒れる宿命、自然の営みの一つなのだ。人間が無闇矢鱈に手を加えるべきではない。自然に、その行く末を見守ろうと思う。


登山を終え、昨日の白谷雲水峡のトレッキング、朝早くからの登山と言うことも相成り、身体はだいぶヘトヘトになっていた。ホテルの近くに温泉があり、それまでの疲れを癒した……

ということをtwitterで呟いたら、屋久島のガイドの御一方からの返信が。「丁度その時間、ウミガメの産卵の観測がありましたのに…」
は、早く言ってよそういうことはっ! \( ゜皿゜)/ キーッ



縄文杉 (Jomon Sugi) 屋久杉自然館 (Yakusugi Museum)
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