2017/01/28

[Review] 未来を花束にして

邦題は『未来を花束にして』であるが、そのような名前からは想像できないほど、過激で暴力的。女性に参政権を付与するために手段を択ばず奔走し、時には生命と人生をかけながら奮闘する生き様を描いている。
既に多くの国で女性に参政権が付与されているからこそ、当時の女性に対する惨状や、そんな状況を変えるために行動する女性たちの『過激さ』には閉口するかもしれない。しかし逆の視点をすれば、何故閉口するのかを振り返ると、それだけ現在我々が生きる社会が恵まれていることの証左であると言えよう。無論、今もどこかで何かしらのデモンストレーションは行われているが、警察官が帯同することもあってか、そのデモンストレーションには、一種の『熱』は帯びていないし、「どうせ変わらないだろうけれど、変わったら儲けもの」程度の感じでしか否めない。
しかし一方で、「何が何でも変えなければならない」という気概を持った活動は賛否両論だ。過激な行動で得るものもあれば失うものもある。むしろ失われることの方が大きいだろう。本作の主人公が、仕事を追われ、一方的な離婚を迫られ、愛する息子は同意なく養子に出され、住む家も無ければ、近所付き合いも失われる程に。最初はちょっと興味があるから、という理由で参加した婦人参政権運動が、何度逮捕されても、何を失っても、それでも這い上がり、また参加するに至る彼女の気概は、一体どこから生まれてくるんだろう、と考えてしまう。

  「もし私たちの子供が『娘』だったら、どうなってた?」
  「洗濯工場で働いているだろう、君と同じように」

そして主人公は、自身と同様に、自身よりも若い女の子が、劣悪な環境の洗濯工場で働かされ、雇い主のセクハラに毎日のように悩まされ続けている。どんな辛酸を舐めても這い上がった主人公を動かし続けた動機は、「私自身の身に変化が起きなくても、私の後に生きる女性に、このような目に合わせたくない」という『絶え間なく続く連動』なのかもしれない。

  「お前たちを全員逮捕すれば、この運動は終わりだ」
  「この世界には女が半分いるのよ。それらを全員逮捕できる?
   私たちが逮捕されても、運動は続く。私たちの勝ちよ」


最終的にこの運動は、女性参政権が付与されることで、彼女たちの運動は勝利に終わる。しかし、ラストシーンは、それにかけた女性たちの様々な『喪失』が矢継ぎ早に繰り広げられ、決して『ハッピーエンド』の構成にはなっていない。何ともしこりの残る終わり方だった。個人的な考えではあるが、恐らく、『ハッピーエンド』な終わり方にしたくなかったのだろう。彼女たちの壮絶な運動が、「夢が叶ってよかったね、めでたしめでたし」で終わるなら、それこそ彼女たちの(生命を含む)かけた全てが軽んじられるに違いないし、また今もなお様々なところで、女性蔑視、女性差別は根強く残っており、それに対し目を逸らす要因の一つになりかねなかったからかもしれない。制度的にイギリスは婦人参政権が与えられたとは言え、「まだこの活動は世界的に今も尚続いている」ことを示したかったに違いない。それこそ、この作品が表現したかった『絶え間なく続く連動』があるように思う。
また、現代のデモンストレーションを振り返ってみると、彼らの運動に熱を感じないことの要因に、『あくまでその時限り』という、連動性が無い、もしくは欠けていることも一つあるかもしれない。勿論、ただそれだけで彼らの運動を『是』とするわけではないが。
これから先、「何をかけても、何を失っても、『それ』は本気で世界を変えたい、変えねばならない『もの』か」という問いかけに、自身が直面するだろうか。その時、自分自身は何を選ぶだろうか。鑑賞後、そんな気持ちが心の中を過った。