2013/08/21

[Travel Writing] 真夏の紀伊路 - 後編

紀伊路の最後を締めくくるのは、和歌山市加太港の沖にある友ヶ島です。
基本的に無人の島ではありますが、釣りやダイビング、島内散策のために宿泊施設は用意されている模様。それでも、年中無休というわけでも無いようですので、島に来るには、ある程度の情報収集が必要になります。そんな島ではありますが、1日に4~5往復の船便があったりするので、個人的にはアクセスしやすい島なんだなぁ、という印象を受けました。

この島を何故選んだかと言うと、やはりこの記事が僕にとって大きな影響を及ぼしたからでしょう! 流石にラピュタそのもの、というには語弊があるかもしれませんが、鬱蒼と生い茂る森の中で、ひっそりと眠る廃墟群を見ると、興奮は勿論ですが、同時に、当時の生活、悲喜交々などのそこに生きた人々の思いを馳せずにはいられないのです。どんな気持ちでそれを建て、どんな気持ちでそこに暮らし、どんな気持ちでそこを捨て去ったのか……

友ヶ島は、加太港から船で20分くらいの場所にあります。早速、一番の船に乗り込んで行きました。しかし、待ち受けていたのは脳を目一杯刺激せん、というくらいの自然と遺跡群とは別に、炎天下の中の過酷な道程でございました… そう、最終日であるこの日も、なのです。 (´∀`;)



友ヶ島に今も残る遺跡は、明治時代、旧日本軍により、外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐ目的で、沖ノ島内5箇所と虎島に砲台や防備衛所が造られました。以降、第二次世界大戦までは要塞施設として一般人の立入は禁止されたそうです。
しかし、第二次世界大戦は航空戦主体となり、対艦用に造られた砲台は使用されることのないまま終戦を迎えます。これらの施設は戦争が終了した時点で無用の長物となり、打ち捨てられ、現在に至ります。爆撃などの攻撃にさらされることなく、当時の姿をほぼそのまま残している、貴重な土木・建築の遺産として、2003年には土木学会選奨土木遺産に選出されました。
今は、木々の枝と根が、そこに住まう鳥や虫、小動物が、静かにその遺跡群を守り続けています。

煉瓦造りの建物(一部には木造のものも)以外は殆どなにもなく、遺跡内は一部を除いて特に立ち入りが制限されているわけではありませんから、中の様子も窺い知ることが出来ます。はっきり言って、下手なお化け屋敷よりも数段怖い! じりじりと照りつける外の気候も、一旦中に入ればひんやりとした空気に包まれます。



遺跡以外にも友ヶ島は自然がいっぱいで、島内散策には絶好の場所です。前述どおり加太港から20分、大阪から加太まで1時間半くらいですから、大阪からでしたら日帰りで気軽に行けるところでもあります。島全体もそれほど大きくありませんので、見るところ絞りさえすれば、1日で1周出来ます。
が、やはり自然が織りなす島。アップダウンはありますので、トレッキングシューズでないとちょっとキツイかもしれません。しかも炎天下の中を歩いたわけですから、身体に圧し掛かる負担は推して知るべし、と言うべきか… (´∀`;)
水分補給はしっかりと摂りましょうね。


折角の夏休みを利用しての紀伊路だったにも関わらず、3日共に炎天下の中を歩き続けるという過酷な休みとなってしまい、何だか損したような気もするのですが… (´∀`;)
まぁそれでも、3日ともいい天気に恵まれましたし、友ヶ島も悪天候で船が欠航するということもあるわけですから、行きたいところに行くことが出来た、ということだけでも感謝しなければなりませんね。

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