2013/03/11

[Travel Writing] それでも、前を向く、それでも、歩き出す

今回の旅は、直前になって、大きな迷いが生まれた。

「果たして、僕は行っていいのだろうか」

何せ、ボランティアで行くわけではない。実際に被災地に趣き、この目で確かめる。今現在の、本当の姿。報道では見えてこないところ。僕なりに感じたこと、そして、伝えたいこと。
しかし、一歩間違えれば、単なる物見遊山の旅になる。もしかしたら、被災地に住む人も、物見遊山で、観光で来てほしい、と願っているはずと考える。いつまでも『被災地』という枠組みに捉われたくない。新たな一歩を踏み出すためには、普通の『観光』として普通に楽しむ、その地の文化を、食べ物を、楽しんで貰う、そう思っているに違いない。
また、単純に被災した現状を写真に収め伝えるのは、重要なことかもしれないけれど、それだけに終始してしまうと、「被災地の現状を見てきました」だけに終わってしまうし、これも下手をすれば、「被災地に足を踏み入れた」その事実だけで、他者への優越感に浸るだけに終わってしまう、ということになってしまう予感すらあった。

それだけになると、いざ振り返った時、「結局自分は何しに行ったの? 被災地を見て、それを写真にとって、『自分は被災地に行ったんだぞー』で終わり?」になってしまう。向かう夜行バスの中で、そんな考えが頭の中を何度も繰り返していた。
だからこそ、こういう考えが浮かんだと思う。

「被災地の今は、悲観に暮れているばかりではない。小さくても、着実に、一歩一歩前に進んでいる」

そしてそれは、被災地以外の人にも連なっていると思う。でかでかとこれ見よがしに『頑張っています』的なメッセージではない、目立たないかもしれないけれど、着実な『何か』。またそれは、自分のために、でもある。そういう瞬間に巡り合うことが出来れば、伝えられるかもしれない。被災地の人たちが、今の尚、少しずつ頑張っていることを。ずっと『被災地』と呼ばれたくない、括られたくない、気仙沼も陸前高田も大船渡も、いつか『被災地』と呼ばれず、気仙沼は『気仙沼』、陸前高田は『陸前高田』、大船渡は『大船渡』として歩んでいこうとしていることを。



未だ瓦礫が残り、更地化している中でも、欠かさずジョギングする男性。
新鮮な魚を、人々の食卓に届けるために、今日も網の準備をする漁師たち。
長らく漁を中断していた漁港が活気づき、出港時に無事を祈る人たち。
復元した高田松原の『奇跡の一本松』を前に、気持ちを新たにする人たち。

そして。

例え全てが無くなっても、また新たに作り直せばいい。それを象徴するかのように、ほんの僅かでも、寒さと土埃に晒されながらも、可憐に咲かせる花々。


それぞれが、それぞれの想いを胸に、3年目に入り、また、気持ちを新たにする。その毎日が前向きに生きられない時もあるし、うまくいかない毎日に焦りと憤りを覚え、落ち込む時だってあるかもしれない。
それでも、彼らは生きている。今は『ただ生きている』だけであっても、決してそれで終わらせようとはしない。『精一杯生きる』ための小さな一歩。本当に逞しい。東北の人たちに元気を与えるのではない。逆に元気をもらう瞬間瞬間である。


いつになるかは分からない。まだまだ、遠い先の話かもしれない。それでも、彼らが、心から笑って暮らせる日々がくることを、願わずにはいられない。

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