2012/05/02

[Travel Writing] 東北桜紀行 - 岩手編 Vol.2

東北の桜、最終目的地は、昨年、世界遺産に登録された『平泉』へ。

中尊寺の春 - 一中尊寺の春 - 二

旧観自在王院​庭園の春毛越寺の春

朝からあまり天気は芳しくなく、ホテルから平泉に移動した時にポツポツ降ってきて、一時的にその降り方、時々風も強く吹いてきまして。しかし、終始そのような雨の天候ではなく、時折雲間からうっすらと陽の光が見えてきました。不安定なことには変わりありませんが。

平泉って、あまり桜のイメージはなかったんです。しかし、国道4号線(奥州街道)沿いに、桜並木が植えられている、ということをつい先日知ったため、どんな感じで咲いているんだろう… と意気揚々と行ってみたら。

ことごとく散っていた… orz

気を取り直して…
とは言うものの、枝垂桜など一部の桜はまだまだ見頃のものも多く、中尊寺の境内は高台のためか、登るにつれ、満開の桜(多少は桜吹雪であるものの)がお目見え。意外と境内を桜が彩っているのは初めて知りまして、やっぱり実際に行き、この目で確かめないとダメだな~、と思った瞬間でもあります。

しかし、ゴールデン・ウィーク中とは言え、この日はカレンダーでは平日。にも関わらず、中尊寺・毛越寺共に、境内を埋め尽くさんというほどの観光客でごった返していまして。やはり、昨年(2011年)の6月に世界遺産に認定されたのが大きいかもしれません。
ちなみに僕は平泉は2回目。その時も平日でしたが、まだ世界遺産に登録される前で、雪が降る真冬ということもあって、深閑とした空気が好きでした。特に、毛越寺内の大泉ヶ池は、真っ白な雪化粧。目を奪われてしまったのは言うまでもありません。
世界遺産という名目で訪れるなんて、皆現金だなぁ~、なんて思いつつも、僕もその目的は入っているわけですし(爆)。それでも、震災・原発事故で苦行に喘いでいる東北の人たちからすれば、それは、東北の復興に導くための、一条の光明になったのは事実ではないかと思います。


線路を挟んで東側に行き、伽羅之御所跡へ。しかしそこには標が立っているのみで、御所の跡は全く見当たらず…
その時、近所を散策中のお婆さんに出会い、「ここには伽羅之御所跡があるという御触れ付きだけど、ご覧の通り何も無いのよ」とおっしゃったのです。奥州合戦の折、劣勢に立たされた藤原泰衡は、北方に逃げるために平泉を放棄。邸宅や宝蔵に火を放ち、灰燼に帰してしまったそうです。
それから500年後、松尾芭蕉が訪れた時は、ここに壮麗な宮殿が建てられたとは思えないくらいの、一面の田園風景。そして今は宅地へ。そのお婆さんも、「世が世なら、一般庶民の私たちなど、こんなところには暮らせなかったはず…」とおっしゃっていました。

しかし、僕はそうは思わなかったのです。藤原三代が目指していたのは、現世での浄土世界。敵も味方も、生けるもの全て、極楽浄土の中で生きる世界を目指そう、というのが彼らの理念。お婆さんと話をしていると、元気よく子供たちが駆け寄ってきまして、それを見ると、たとえそこが『浄土』という仰々しい世界観でなくても、「普通だけれど、皆が穏やかで、平和に暮らせる世の中」であることが、もしかしたら藤原三代が目指していた、完成系なのかもしれません。
確かに、観光という上では、何かあった方が人として呼び込みやすいかもしれませんが、そうすることが、その場所を代々築き上げてきた人たちの理念に必ずしも沿っているとは言えない。見どころが何も無くても、築き上げてきた人たちの理念がそこに含まれているのであれば、それもそれでいいのかな、と思うのです。

平泉は、これからも何回か訪れる機会があるのでしょう。そのたびに、彼らの往年の夢や理想が垣間見えるのかもしれません。



中尊寺 (Chuson-ji) 毛越寺 (Motsu-ji)
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