由布院は、僕の前に両親が旅をしまして。その時注意されたのが、『金鱗湖』の小ささでした。両親が大分へツアー旅行に行った際、ガイドさんに、「皆さん、間もなく金鱗湖に到着しますが、決してがっかりしないで下さいね!」という前押しを言われたそうで。一体何のことかというと、湖と言うには小さく、それはまるで池のよう。一目見渡すだけで全体が見えてしまう、というところにがっかりしてしまったそうです… 加えて、季節は夏。気温が高く、金鱗湖に注がれる温泉の湯気による幻想的な光景は全く見ることが出来なかった、とか。^^;
そこまで聞くと好奇心をそそられるのが世の常。宮崎から北上し、まずは由布院にて一泊。まだ日の出も無い、薄暗い朝5時。暗い温泉街の街道を歩きながら、金鱗湖に向かいました。
指先まで凍てつくような寒さ。こんな中に、それも朝早くから、1時間以上もいるというのは、正直どうかしているかもしれません。しかし、目の前に幻想的な光景が飛び込んでくるのであれば話は別。少しずつ明るくなっていく寒空の下、金鱗湖に注がれる湯気がたちまち気化するも、冷たい空気に触れて霧に。その霧が、あたり一面を幻想的な光景に仕上げていくのです。
やがて時間が経過し、徐々に空も明るくなります。由布岳の山麓から太陽が見え、その光が当たり一面を照らします。丁度、西側の山々が太陽の光に照らされ、朝の美しい光景を作り上げていました。まぁ、その時には、既に手の感覚がほとんど麻痺していたのは言うまでもありませんが… ^^;
由布院の朝の温泉街を散策した後は、大分市→臼杵市へ。
府内城などの歴史的文化財があるにもかかわらず、あまりクローズアップされていないところが気になりましたね… 僕の情報収集力や街歩きが足りなかったかもしれませんが。あまり、極端な一面でしか見ることをせず、もっとじっくり回るべきでしたね。時間的な集うは個人的には言い訳。街のことをよく知るには、しっかりと歩くべきだと思います。
そうは言っても、府内城は鎌倉から戦国時代にかけて続く名門・大友氏の居城。その後は数奇な運命を経て、第二次世界大戦の空襲にて消失してしまいます。失ったものはもう戻らないし、新しく建てたところで、結局のところそうにしか見られない、という側面もある。維持するにも財政的な問題もありますし。
色々な状況を鑑みて、致し方ない部分は数多くあれど、そのまま忘れ去られていくというのはあまりにも忍びない。どこにでも歴史はある。大分にも歴史あり。その拠点として、これからの大分の礎となってくれれば、と思います。
ちなみに、臼杵市も、当初は愛媛へ移動するためのところとでしか旅程の計算にいれていなかったのですが、意外や意外、石仏や醤油の製造で有名だったなんて! これは、旅の途中の、正に行き当たりばったりで出会える醍醐味でもありますね! 次の機会は、そういった地元産の文化を愛でながら、旅することにしましょう…
そして、この大分県の旅を以て、47都道府県、全てを踏破しました。細かいところを上げれば、まだまだ行っていないところはありますし、1度しか行っていないところも沢山あります。挙げればキリがありませんので、おいおい、回ってみようと思います…
そして、この大分県の旅を以て、47都道府県、全てを踏破しました。細かいところを上げれば、まだまだ行っていないところはありますし、1度しか行っていないところも沢山あります。挙げればキリがありませんので、おいおい、回ってみようと思います…
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