それを心の底から実感した、フィクションとは言え、非常にリアリズムに徹底した作品だと思った。
『はやぶさ』プロジェクトに関わって、自分がやりたいこと、叶えたいこと、進みたい道を考え、選ぶ物語構成である『はやぶさ/HAYABUSA』。何年もかかる、失敗する可能性も否定できない、それでも諦めきれない夢に向かって突き進む、この作品も勿論そういう側面があるが、そのためにはあまりにも現実的。言葉で言い表せるような、また、報道で垣間見えるような『物語』の裏に潜む、絶望にも近いリアル。
それでも、登場人物が諦めきれない思いを持ったのは何だろう。これは、『夢』を支えるための人々の『精神力』や『忍耐力』にも問いかける問題でもある。
この作品を通して、壮大過ぎる『夢』を叶えるために必要なのは、何よりも『資金』である。そしてそれが、物語を一層深く、且つ現実的な作風に仕上げている。
『はやぶさ』を搭載したM-Vロケットの打ち上げ。その時の打ち上げ施設に、NASAの職員を招いたが、その時の施設のボロボロ感、打ち上げた時の振動で舞い散る埃に辟易し、『ボロをまとったマリリン・モンロー』とまで揶揄された。アメリカの衛星打ち上げより約1/10の費用で賄える日本の宇宙開発事業、といっても、あまりにもみすぼらしい姿は、日本の科学者ですらも辟易しかねない。
しかし、長年に続く研究を実施するためには、継続して資金を提供してもらう可能性がある。『はやぶさ』飛行中に何度も訪れる苦難、通信が途絶えてしまう絶望。それに追い打ちをかけるのが、文部科学省からの予算打ち切りの危機。「そんな遠いところの石を持ち帰って、一体何の役に立つの?」。その言葉が、一体自分は何のためにこの事業を続けているのかを問いかける便になる。
また、この事業には、数々の企業の先端技術が多数揃っている。担当部署や社員は、こぞってこのプロジェクトに参入しただろう。何せ、自分の会社こそ、宇宙開発に欠かせない、という技術アピールにもなるからだ。だからこそ、利益を追求する企業としては、このプロジェクトに参加するための見返りが無くてはならない。単に友達気分で参加するわけにはいかないのだ。本来であれば、夢のある仕事を行うには、企業方針はそっちのけでやりたい時もあるだろう。しかし、利益を出せなければ、企業から干されるだけ。家族を養えなくなる。「僕はメーカーの人間なんです!」その言葉には、どんな思いが込められているのだろう…
そして、『はやぶさ』開発の際に取り巻く人間模様にもまた、金の問題は付きまとう。折角、宇宙開発に欠かせない部品を作ったのに、末端の街向上であるが故に、その経営は火の車、経営者の社長の苦悩、時々訪れる娘にお金を借りなければならないという屈辱。その娘はジャーナリストで、宇宙開発の部品を作っている父親の背中を見て育った。当然宇宙開発に興味を持ち、ジャーナリストになる。しかし、仕事だけ、理想だけを追い続けるには、現実はあまりにも厳しい。経営難に陥っている父、結婚し子供も出来たが、コンサルタントに手を出した夫はこれまた事業に失敗し借金を負うことに。その後は離婚して、シングルマザーとして子供を育てている。
どれをとっても、夢を語るにはお金は切って離すことは出来ない。夢を見ることは出来ても、それを実現することはあまりにも遠く、難しく、大抵の人間であれば、途中で挫折して諦める、もしくは妥協案で自分を納得させる。また、どんなに一つのプロジェクトを複数の人間で推し進めようとしても、そこには様々な利益や思惑があり、一つにまとめ上げるのは難しい。卓越したリーダーシップを発揮する人でさえ、その都度至難を極めるほどだろう。
『はやぶさ』が帰還し、そのカプセルの中に僅かながらのサンプルが込められていた。何度苦難に陥っても、決して諦めない気持ちを持つことが大切だと、日本中が歓喜に沸いた。しかし、この作品を見ると、『諦めない気持ちを持つことが大切』という言葉だけでは、到底言い表せない現実的な艱難辛苦が込められている。どんな美辞麗句を募ったとしても、所詮それは表面的であり、限られた時間内のインタビューで語られる表層的な言葉に過ぎないのだ。
本当に夢を叶えることとは、一体何なのか。今一度、私たちに問いかける、それこそ『現実』を鋭く突きつける作品である。
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