2012/01/30

[Movie] J・エドガー

ジョン・エドガー・フーヴァー [John Edgar Hoover]

アメリカ連邦捜査局 (FBI) 初代長官。1924年に任命され、1972年に亡くなるまでの48年間、長官職を務めた。現在に至るまで、アメリカ合衆国で最も長く政府機関の長を務めた人物 (以後のFBI長官の任期は、10年に限定) 。
今日のFBIを築き上げた人物として称される一方で、その強大なる権力を盾に、様々な公人に対する諜報活動や政治的迫害などの権力行使をしたことによる批判もある。生涯独身であること、パートナーであるクライド・トルソン (Clyde Tolson) と同性愛の関係にあると噂・推測が飛び交うが、明確な証拠は無い。

参考 : Wikipedia



司法省に入省してから、その生涯を閉じるまで、一貫してレオナルド・ディカプリオが演じている。晩年のフーヴァー長官よろしく、太った様相も、後退した頭髪も、刻まれた皺も、特殊メイクによって成している。しかし、やはり声の質や、発する気概は、
やはり30台の気鋭の演技派俳優ならではのものが発揮されていたことは否めない。しかし、元々フーヴァー長官の私生活は秘密のベールに覆われていたものだし、余計な脚色をほとんど加えない、クリント・イーストウッド監督の描写ならではの作品なのだ。死ぬまで長官を務めあげた人物なのだから、むしろその生き様は、本当に、死ぬまで若々しかったのかもしれない。

作品の中のフーヴァー長官は、強大な権力を得たものの、その権力に取りつかれていたわけではない。ディカプリオは、最終的に歴代の大統領に疎まれた存在になってしまったことで、彼のキャリアは失敗に終わったのではないか、と評しているが、僕はあまりそうは思っていない。何故なら、彼には、他の誰にも持ちえなかった、「アメリカを如何なる敵対勢力にも浸食させない」という確固たる正義感と使命感があったからだ。
しかし、その正義感・使命感があまりにも強すぎたために、時としてそれが狂気を生み、本質を歪ませ、多くの人たちの人生を狂わせる。これは、ある意味ジョン・レノンを彷彿させた。彼は、公式に特定の政党に対し支持を表明しなかったものの、『人々に力を、民衆に権力を』というフレーズを立ててアメリカ国内でデモ行進を行った。何百万人という人々の心を鷲掴みにする、音楽という、見方を変えれば強力な武器が彼に備わっていたからこそ、彼はFBIの監視の下に置かれたこともあった。フーヴァー長官も、もし立場が異なっていれば、彼もまた、監視の下に置かれて生活を強いられていたかもしれない。それだけの強力な『気』のようなものを、たとえ色調の少ないスクリーンからとはいえ、作品全体から感じた。

ただやはり、強すぎる正義感・使命感の裏には、それに対する代償というものも少なからず垣間見えた。強い自分を演じなければならない。誰も信用できない。時々、自分自身ですら信じられなくなる瞬間が、自傷行為のように観るものに突き付ける。


そう言えば、長官の姓は『フーヴァー (Hoover)』であるにも関わらず、この作品のタイトルには、それが無い。"J. Edgar"で終わっている。これは僕の憶測であるが、もしここに"Hoover"と付いていたら、この作品の見方が、ガラッと変わるかもしれない。フーヴァー長官ではなく、『ジョン・エドガーそのもの』を観てほしい。もしかしたら、そういう想いを込めて、敢えて"Hoover"を外したのかもしれない。

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