飛鳥路の旅の前日、その写真をアップしてくださる方とお会いし、見所をチェック。一通り教えてもらったのはいいのですが、飛鳥の南、高取町にある、日本100名城の一つ『高取城』に行きたい、と自己申告したことが、運命の分かれ道でした。もしこの選択をしなかったら、もう少し違った飛鳥路を堪能できたかもしれませんが…
実際、飛鳥路の観光ポイントは、自転車で1日で悠々と廻れるくらいのところに点在しているのだそうです。そこに『高取城』を加えると、飛鳥路でもいくつかは回れないかもしれないし、不完全燃焼になるかもしれない… そんなリスクを承知の上で、さらに欲張り全開の旅程を組んだのですから、旅が終了した時の疲労感たるや、押して知るべしでしょう。それでも、回りきれなかったところがあることの後悔もある、というのですから、いやはや、どうしようもありません… (´д`)
レンタサイクルには、普通のママチャリと電動アシスト、そしてロードバイクがあります。当初はロードバイクを借りる予定でしたが、それは飛鳥駅には置いておらず(石舞台古墳のステーションにはあるらしい)、その後の体力温存も兼ねて電動アシストを借りることに。
そしてまずは、他の場所など意にも介さずに、ひたすらまっすぐ高取城へ向かいました。
高取城への道のりは、思ったほど坂の傾斜が厳しい! 途中の壷阪寺までは、もしかしたらママチャリでも何とかいけると思います(それでも、壷阪寺に行くことだけを目的としていることが前提(多分))が、そこから先は、よほど鍛えていないと無理でしょう。途中、乗り慣れていると思われるロードバイクのライダーとすれ違いましたが、急こう配でやはり思うように前に進めないように思いました。午後を中心に飛鳥寺を見て回りますので、体力温存のために電動アシストを借りたのは正解だったと思います。
え? ロードバイクでの挑戦? ははは、それは、まぁ日を改めて… (´∀`;)
大分県竹田市の岡城でも思いましたが、何故こんな高いところに、これだけの素晴らしい石垣を築くことが出来るんだろう… と、感嘆せずにはいられませんでした。当時の建築技術の高さに驚かされるばかりです。木々が鬱蒼としていましたので、眼下が見づらかったのですが、高取城から臨む飛鳥の街並みも、さぞ美しいことでしょう。しかもこの時期は、ちょうど稲穂の実も黄金色に変わりつつある時期。まるで、天空から黄金色の海を見るかのような感じかもしれません。
高取城を降りて、飛鳥路を巡る前に壷阪寺へ。しかしこれがかなりの誤算。壷阪寺、結構境内が広い。そして見どころも多い! (゜д゜) 時間配分を間違えて、ついつい、長居してしまいました。いい意味でも、悪い意味でも。
何せ、当初は壷阪寺は通過点にすぎなかったのですから。やっぱり実際に足を運んでみないと、その場所の魅力と言うものは分からないし、語るに乏しいですねぇ。
ご存じのとおり、仏教は中国を経由してインドから日本へ伝わりました。この壷阪寺は、そんなインドとの国際交流を非常に密に行っている寺の一つ。それゆえ、境内にはインドゆかりの品々や、インド在住の彫刻家が寄贈した品物も数多く展示されています。今は、インド人の多くを占めるのがヒンドゥー教ですが、ヒンドゥー教は仏教にも密接に繋がる部分があります。もちろん、そのことを示す品々もあります。日本の仏教の寺なのに、まるで東南アジアの寺院に迷い込んだかのような、そんなエキゾチックな側面を見せるお寺です。
飛鳥路へ向かう前に腹ごしらえ。それと同じく、壺阪山駅界隈の古い街並みも散策。
古い町並みは、今では現代風の住宅に姿を変えているところがおおくあるものの、ところどころで、江戸から明治の情緒がほんのりと感じることが出来ます。
さぁ、そうこうしているうちに本当に時間が無くなってしまいました。
飛鳥路に来たのであれば、本来であれば石舞台古墳に行きたいところ。なのに今回の旅ではその主要スポットを素通り!! あんまりやらない… というか、普通はやらない。やはり見どころは押さえておきたいところ。なのに素通り。理由は時間が無いから。 (´;∀;`)
後で、事後報告を兼ねて、今回紹介していただいた方に話をしたら、「それは次もここにやってくる口実だよねっ (^o^)」とのこと。ああ、悟られてしまった気分… (´∀`;)
あ、でも飛鳥寺はちゃんと押えました!
今年は、例年になく秋の入りの時の気温の低下が早かったためか、彼岸花の咲くタイミングも早かったように思います。そのため、文字通り『暑さ寒さも彼岸まで』の時が一番の見頃。残暑が厳しい時には、9月末から10月の頭くらいに咲き誇っていた彼岸花も、9月末には多くが色褪せ、半分くらいが既に見頃を過ぎ、あとは朽ちていくのみの状態でした。
ただ、今回紹介してくださった方も、「朽ちゆく瞬間が一番美しいかもしれない」ということを仰っていました。確かに色は褪せていたものの、最後の最後まで、その焔のような赤色を発し続けている、というのは、生命の輝きを最後まで絶えず燃やし続ける、という意味にも繋がるのかもしれません。
今回は、ちょっとタイミングを逸したように思いますが、これはこれで素晴らしい体験だったと思います。今度は、ちゃんと見頃の時に、また訪れたいと思います。 ^^
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