アメリカの日本庭園専門誌"Japanese Garden Journal"に、10年以上日本一の庭園として認められていることでも名高い、安来市 足立美術館の日本庭園。四季折々に魅せる庭園の姿はどれも素晴らしいのですが、中でも雪に覆われた庭園は、一目見て魅了され、必ず行きたいと思っておりました。
2005年の年末に1度行ったものの、その年の日本海側の大雪警報は何のその、ものの見事なピーカン晴れで、勿論雪も無く。いやそれでも庭園は変わらず美しさを醸し出していましたが、個人的には肩すかしの状態でした。。。
そんなわけで、約8年越しの再挑戦。結果はと言うと、これぞ僕が最も望んだ光景!! …とまではいきませんでしたが、ようやく、その姿をこの目に焼き付けることが出来ました。
ご存じのとおり、足立美術館の日本庭園は、敷地外の背景の山々の景観をも含めた計算された設計となっている庭園です。敷地自体は決して広くはないのですが、向うの山々をも含めて観賞するので、美術館側から見るととても広い庭園のように感じます。ですが、実際の敷地面積はそれほど広くなく… (´∀`;)
ま、まぁ、視覚的な構成、見せ方勝ち、というやつでしょうか。とはいえ、庭園の手入れは基本的に毎日で、ごみは勿論、余計な落ち葉すらも落ちていません。枯山水の線の描き方、石や植木の配置、どの角度から見ても美しく映える景観など、その絶妙な配置具合は、やはり10年以上連続して日本一の庭園という評価に相応しいかと思います。
横山大観や平山郁夫等、日本を代表する日本画家の展示を拝観して回り、その後は徒歩で南下。30分もしない程度で、月山富田城の麓に到着します。
城マニアでしたらご存知の通り、月山富田城は、山陰の覇者・尼子氏の居城にして、日本100名城の一つ。毛利元就に滅ぼされるまで、そこを拠点に猛威を振るっていました。その後、山中鹿介などが再興のため城の奪還を図るも及ばず、尼子軍は再度廃退。江戸時代以降、山陰の支配は松江城に移り、月山富田城は廃城となりました。
当時の面影はほとんど残っていないものの、多数の遺構が発掘され、大規模な山城の様子がうかがえます。
山城と言うからには、本丸に辿り着くまでには多かれ少なかれ登山が必要。加えて雪。麓はかなり融けていましたが、山中に入れば入るほど、雪は深く積もっていまして。足をとられること数回。途中、整備されておらず狭い道が斜面に続いている、というところもあり、雪山の山城登山はそんじょそこらの装備では絶対にお勧めできないことが窺い知れます。 ^^;
中腹の山中御殿までは比較的楽に登ることが出来ますが、そこから先は完全なる山道。難所続きだとは思っていませんでしたので、何度引き返そうかと思ったことか… ^^;
それでも何とか登りきり、本丸から眺める雪化粧の安来の町並みを見ることが出来ました。
雪中行軍とはいえ、雪に閉ざされた月山富田城、そして冠雪の足立美術館の日本庭園を見ることが出来た、というのは、個人的にはまずまずの旅だったと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿