2013/12/11

[Review] 利休にたずねよ

虫の声を欧米人は右脳で処理するが、日本人は左脳で処理するといいます。論理や言語をつかさどる左脳で聞く日本人は虫の鳴き声を「虫の音」ではなく「虫の声」と感じるのに対して、情緒や音楽をつかさどる右脳で聞く欧米人にとっては虫の鳴き声はあくまでも音でしかない、と。
だから欧米人は、日本人が何故虫の音に情緒を感じるのかが理解できない、ただの耳障りなだけじゃないか、と言うのだそうです。今でこそ日本文化が世界に遍く浸透したからこそ、虫の音に情緒を感じる海外の方も多くなったけれど、それほど、『美』に対する意識の隔たりは、日本人と海外、特に欧米の人との間には大きなものがあったのかもしれません。

茶聖として後世に今もなもその名を轟かせる千利休。彼が点てる茶も、その茶を点てる場所である庵も、『見た目』だけで言えばお世辞にも美しいと程遠いかもしれません。
しかしそれは彼にとっての『美』のほんの一要素に過ぎない。内装を質素に誂えながら、だからこそ目を引かれずにはいられないアクセント(竹筒や竹籠で作られた花瓶とその生け花)、茶を点てる時の所作、静寂の中にこだまする衣擦れ、庵の外から差し込む僅かな光と外気の心地よさ、風の音、木々の揺らめき。
そして     
器に注がれる水の音、茶器、器から身体に注ぎ込まれる茶の味と香り。その席に立ち会った時にしか立ち会えない『美』。当然、絵にも写真にも収めることが出来ない、五感で感じとる『美』。それこそが、この作品から感じられる利休が追い求めてきた『美』であるように思います。
さらに、利休はその『美』を決して強要したり、これ見よがしに強調したりすることもない。ただ、自分が感ずるままの『美』を、淡々と、そして自分の心が揺るぐことなく表現しているだけ。むしろ、それに周囲が踊らされ、狂わされ、にも関わらず彼を『人たらし』と評する。まぁ得てして『人たらし』とはそんな人物なのかもしれないですけれど。。。

そんな利休像を、10台から70台にかけて演じきった市川海老蔵氏。
色々と物議を醸している人物ですが、やはり役者としては超一流。歌舞伎の世界ではエネルギーを四方に発散させるような力強さ、その眼力を保ったままで、ただ静かに、内側で燃える様、それこそ人生を『茶』に、『美』に傾倒し燃え尽くさせるような演じ方に、ただただ見入っておりました。
今作のために、表千家や裏千家等の協力の下、茶道を学んできたといいます。ただひたすら、自分の究極を追い求めるように、ある意味で貪欲なままに茶を点てる時の彼の所作の一つ一つは、魅入られるべき力が込められていると思います。
もう一つ、この作品で楽しめたのが、器に注がれる水(湯)の音。これがなんと言っても心地よい。ただこれだけでも、この作品の『美』を一層印象付ける要素になっているのではないかな、と思います。


ではそれ以外は、というと。正直言って、それ以外は本当におまけ。
(敢えて申し上げれば、中谷美紀さんの宗恩(利休の妻)の演技)
信長も秀吉も引き立て役にすらならなかった。市川海老蔵氏が他の共演者を食ってしまうがばかりのエネルギーを持っていたから、なのかもしれませんけれど。
特に、利休の若い頃の経験が、茶人として確立してからの『美』の体型を築き上げたこととの接点が全く分からず。分かったのは、自分が感じる『美』は、たとえ相手が神であろうと奪われない、穢されない、それだけのものを作り上げていこう、という一種の執念のように思えたのですが、それが、本作の中で表現されている『美』にどのように繋がっていったのかが、まるで抜け落ちていたのです。
この、利休の若いころの経験に関しては、他のレビューなどで散々叩かれている要素がありますので、敢えてそれは触れるまでもない(というか触れる必要もない)のですが、それを全て取っ払ったとしても。

海老蔵氏の存在感があまりにも大きく出過ぎてしまっているだけに、色々残念な点が残る作品であるように思います。



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