2014/01/13

[Travel Writing] 真冬の山陰を巡る旅 - 兵庫編

初日の島根・安来、2日目の鳥取・智頭と、雪が積もるほどの寒さではあったものの、天気は概ね良好でしたので、歩き続けていればそこそこじっとりと汗をかくような陽気でした。智頭を発ち、城崎温泉を経てその日の夜に兵庫県豊岡市に到着した時も、寒さはあれど劈くほどでも無く。
が。朝起きたら景色は一面の真っ白。大雪に見舞われた山陰地方。寝起きの時点では「やったー! これぞ見たかった冬ならではの景色! (゜∀゜)」と喜び勇んだものの、最終目的地である出石を歩いて数時間ほどで、「あー、もう雪はお腹いっぱいかなー (^q^)」と思ってしまったのもまた事実ですw
ちなみに、出石に鉄道は通っておらず、公共交通機関を利用してのアクセスは、豊岡駅からバスで。おおよそ20分程度。途中川沿いを通り、雪によるスリップで川に転落しないか、ちょっとひやひやしたりもしましたが、さして狭すぎる道でもなかったですし、全て杞憂に終わりました。 ^^;

まぁそんな心情ではあっても、雪の降りしきる中の街歩きは、これまでに無い経験が僕の身体と心の中に刻まれたのは事実です。




出石城の城下町として栄え、今でも伝統的建造物が軒を連ねる出石。一方で、昨日歩いた智頭と同じく、全てが江戸時代の家屋というわけではなく、ところどころで明治以降の西洋風の建築物も見られます。単に保存された街並みを散策するだけでなく、江戸から明治への変遷の様相も垣間見ることが出来ます。

到着直後は、まずは出石城へ。『出石城』そのものは、江戸時代のもので、有子山山麓に建築された石垣や櫓などがそれに該当します。それ以前にも、有子山山頂に有子山城が築かていましたが、こちらは羽柴秀吉によって落城。今は深い森の中にひっそりと眠っています。
夏場であれば山に登り、山頂から出石の風景を眺める、というのもありですが、流石に降りしきる雪の中では足元も覚束なくなるため、登頂は断念。それは後日のお楽しみ、ということにしました。 ^^;


城を降りて街並みを歩く道すがら、軒を連ねていたのは『出石そば』。一つの通りの中で何件も連ねるほど。しかもこんな降りしきる雪の中でも、店子の人が表に出て、声を上げて観光客を呼び込もうとしていました。
特に、辰鼓楼界隈のお店は人気が高く、しかもこのような雪の日は、窓にうつる、水墨画様な景色を愛でるにはうってつけだと思います。また、辰鼓楼周辺には松が植えられていて、それに雪が被るわけですから、これまた情緒溢れる景色になるわけです。熱い汁にそばを浸し、ほんわかと湯気が立ち込める中で、ゆったりと午後のひと時を過ごしました。



京都や北海道、沖縄など、主要観光地を始め、どこも言われている、もしくは耳にすることなんですけれど、冬は他の季節に比べて観光客が少ない。多かれ少なかれ。でも、それは非常に勿体ないと思います。冬の、それも雪が降る中だからこそ、見ることが出来る光景もあるというのに。
まぁ、桜や紅葉と違い、雪はいつ降るか分からない、予報がなされても確実に降る保証はどこにもありませんし、降り方によって望む積雪量も違う。如何に雪化粧の旅を望んだとしても、それが確証されない限り計画するのは難しい、というのは分かりますが…

という話をしたら、「いや単に寒くて外出たくないから…」というのが大半を占めているとかいないとか。 (´・ω・`)
まぁ、人が少ないからこそ、悠々と見て回ることが出来る、というのもありますので、そこら辺は気兼ねが無いのですが。 (´∀`;)

閑話休題。
今回、雪化粧の街並みを撮影して、一番の収穫、というより、これは何時間も眺めていたいなぁ、と思ったのが、このブログに写真で掲載した、出石史料館の中庭の風景。外が雪の白で覆われていましたから、余計に室内が暗くなってしまうのですけれど、その暗さと、そして障子を開けた時に見える雪化粧、ほのかに照らされる灯りの組み合わせが絶妙でした。他にお客さんがいないことを承知の上で、畳の上に這いつくばりながら写真を撮っていたのは内緒ですw


始終雪の中での街撮りは、山形県酒田市、北海道函館市等いくつかあり、その度にレンズが曇ってしばらく使えなくなったり、雪に足をとられながら歩いた末、ヘトヘトに疲れ果てるなど、結構散々な目にも遭っているのですが… ^^;
それでも止められないのは、やはり雪化粧の景色ならではの魅力なのでしょうねぇ。

2014/01/12

[Travel Writing] 真冬の山陰を巡る旅 - 鳥取編

数年前の冬、鳥取から津山へ向かう因美線に揺られていると、窓の外から見える雪化粧の美しさに目を奪われ、見入ってしまったのを覚えています。結局その時の旅は、その雪化粧の景色は単に通り過ぎるだけの存在でしたので、旅が終わった後は少しばかり後悔の念に浸っていましたが、やはり忘れることが出来ないということもあり、Photowalkとして、今度こそその場所を訪ねよう、と決心した次第です。
それが、鳥取県と岡山県の県境にある、智頭です。



東京に住み、方々を旅する者からすると、最大のアドバンテージは、北海道から沖縄までの旅に格別の自由さがある、ということ。北海道・沖縄は飛行機が必要になりますが、例えば新幹線であれば、北は青森、西は大阪・岡山・広島まで比較的簡単に行くことが出来ます。その新幹線も今や九州まで路線が伸びているので、その広がる自由度たるや押して知るべし、という感じです。

一方、個人的に大阪にお住いの方のアドバンテージと言ったら、四国や北陸、山陰地方へ簡単に足を伸ばせる、ということ。来る北陸新幹線の開業に向けて、東京からも1本で北陸へ行けるようになりますが、夜行バスや寝台特急でも利用しない限り、四国・山陰は東京からではそうやすやすと行けるところではありません。
それでも、一度見た時の募る旅情は抑えることが出来ず、スケジュール調整の網目を掻い潜ってやってきた次第です。

前日までの日本海側を中心に雪が降る、という予報をキャッチしていたので、僕の望む雪化粧の街並みを見ることが出来て、到着直後から感無量、という感じです(早すぎw)。想像したより積雪量は少ないようにも感じましたが、この際ですから贅沢は言えません。



江戸時代、鳥取藩の宿場町として栄えた智頭宿。藩主が参勤交代の折に利用した家屋や本陣の跡は、今でも残っており、当時の賑わい、活気が偲ばれます。とは言え、鳥取と岡山の県境という立地、雪が積もる冬の季節、というだけあって、休日にも関わらず人の数は多くはありませんでした。まぁその甲斐あって、気兼ねなく廻ることが出来たのですけれどw
それでも、午後になれば雲は引いて晴れになり、燦々と降り注ぐ太陽の光が、冬の昼間の暖かみを恵みとして与えてくれます。それと同じくして、訪れる人も少しずつ多くなってきました。

そんな中でも、海外からの観光客もちらほらいらっしゃるようで。やっぱり、こういう街並み・風景を好んでくださる人は、大都市圏から遠い・近い関係なく訪れるんだなぁ… と感嘆するばかりでした。
古い家屋だけかと思いましたが、明治以降に建築された西洋館もいくつかあります。江戸時代が終わり、その賑わいは明治初期まで保たれ、明治以降は時代に即した建築物に様相を変えていく… そんな、時代の流れを垣間見ることが出来るところでもあります。

智頭宿の街並みと、国道を挟んで並ぶように流れているのが千代川。河川敷には桜が植えられています。当然この時期はまだ蕾は固く。でも、春になったら、薄紅の桜が、川を、通りを包み込むのでしょう。そんな時期に街を歩くのも、またオツかもしれません。



智頭に来て初めて知ったことと言えば、有数の杉の産地だということ。民家の軒に吊り下げられたり、または飾られたりしている杉玉は勿論、木工産業も盛んで、一部の古民家では蔵造りを小さな資料館にして、様々な木工品が展示されています。
『智頭』『杉』で検索すると、地元から発信されている杉を活用した建設会社や家具・調度品の会社も。地道ながらも、こういったことが、一つのブランドとして広く知れ渡り、活用され、地域振興になれば、と思っています。

2014/01/11

[Travel Writing] 真冬の山陰を巡る旅 - 島根編

アメリカの日本庭園専門誌"Japanese Garden Journal"に、10年以上日本一の庭園として認められていることでも名高い、安来市 足立美術館の日本庭園。四季折々に魅せる庭園の姿はどれも素晴らしいのですが、中でも雪に覆われた庭園は、一目見て魅了され、必ず行きたいと思っておりました。
2005年の年末に1度行ったものの、その年の日本海側の大雪警報は何のその、ものの見事なピーカン晴れで、勿論雪も無く。いやそれでも庭園は変わらず美しさを醸し出していましたが、個人的には肩すかしの状態でした。。。

そんなわけで、約8年越しの再挑戦。結果はと言うと、これぞ僕が最も望んだ光景!! …とまではいきませんでしたが、ようやく、その姿をこの目に焼き付けることが出来ました。

足立美術館の日本庭園 - 一足立美術館の日本庭園 - 二

ご存じのとおり、足立美術館の日本庭園は、敷地外の背景の山々の景観をも含めた計算された設計となっている庭園です。敷地自体は決して広くはないのですが、向うの山々をも含めて観賞するので、美術館側から見るととても広い庭園のように感じます。ですが、実際の敷地面積はそれほど広くなく… (´∀`;)
ま、まぁ、視覚的な構成、見せ方勝ち、というやつでしょうか。とはいえ、庭園の手入れは基本的に毎日で、ごみは勿論、余計な落ち葉すらも落ちていません。枯山水の線の描き方、石や植木の配置、どの角度から見ても美しく映える景観など、その絶妙な配置具合は、やはり10年以上連続して日本一の庭園という評価に相応しいかと思います。


横山大観や平山郁夫等、日本を代表する日本画家の展示を拝観して回り、その後は徒歩で南下。30分もしない程度で、月山富田城の麓に到着します。

雪の月山富田城 - 一雪の月山富田城 - 二

雪の月山富田城 - 三雪の月山富田城 - 四

城マニアでしたらご存知の通り、月山富田城は、山陰の覇者・尼子氏の居城にして、日本100名城の一つ。毛利元就に滅ぼされるまで、そこを拠点に猛威を振るっていました。その後、山中鹿介などが再興のため城の奪還を図るも及ばず、尼子軍は再度廃退。江戸時代以降、山陰の支配は松江城に移り、月山富田城は廃城となりました。
当時の面影はほとんど残っていないものの、多数の遺構が発掘され、大規模な山城の様子がうかがえます。

山城と言うからには、本丸に辿り着くまでには多かれ少なかれ登山が必要。加えて雪。麓はかなり融けていましたが、山中に入れば入るほど、雪は深く積もっていまして。足をとられること数回。途中、整備されておらず狭い道が斜面に続いている、というところもあり、雪山の山城登山はそんじょそこらの装備では絶対にお勧めできないことが窺い知れます。 ^^;
中腹の山中御殿までは比較的楽に登ることが出来ますが、そこから先は完全なる山道。難所続きだとは思っていませんでしたので、何度引き返そうかと思ったことか… ^^;
それでも何とか登りきり、本丸から眺める雪化粧の安来の町並みを見ることが出来ました。


雪中行軍とはいえ、雪に閉ざされた月山富田城、そして冠雪の足立美術館の日本庭園を見ることが出来た、というのは、個人的にはまずまずの旅だったと思います。

2014/01/02

[Review] 永遠の0

戦争とは、本当に残酷なものである。
基本的に、世論とは違う論調というものを認めない。それらはことごとく『異端』として排除される。どんなに情報と状況を収集し、冷静に自分の中で分析した結果だとしても。恐らくどの世界でも、戦争が勃発している時代に生きる多くの人は、まるで狂信者の群れのようになっているに違いない。勿論、政治やマスコミがそのように先導している、ということもあるけれど。

戦争が終わった後も、『海軍一の臆病者』と語り継がれる、主人公の実の祖父・宮部久蔵。しかし、ごくわずかな証言では、その評価はまるで正反対。そんな祖父を調べることは乗り気ではなかった主人公も、証言を集め、調べていくうちに、何故祖父が『臆病者』と呼ばれるような行動を取ったか、そしてそれを背景とする当時の情勢や戦争の残酷さを知ることとなる。
こうした、戦争を『是』とする世論の中で、ひたすら現実を直視し、自国の利益と未来に沿った行動を取ろうとする人物像として、『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』が記憶に新しい。フィクションとは言え、宮部久蔵も、いわゆる『リアリスト』として常に現状と未来を見据え、それに向けて行動し、またそうしろと部下たちにも教え付けていた。
しかし、如何に個人の考えが現実に沿っていようとも、いわゆる『世間一般の声』の前には無力に等しい。それ故、それが曲解として今日に至っている。

そのような少数の声が、それが『是』であろうと『非』であろうと、『多数』を前にすると如何に無力かというのは、今の時代にもつながるものがある。主人公も、自分たちの友人に、自分の祖父の足跡について、事実を語ろうとしても一向に通じない。
『嘘』や『曲解』も、それが多数派となれば『真実』にとってかわられてしまう。だが、宮部久蔵はそうだと知っていても、全てに拒否されようとも、自分の『是』を貫こうとした。その身を挺してまで。


時として『世論』は、その大きなうねりそのものが『間違い』に突き進むこともある。たった独りでも、それを是正していかなければいけない時もある。全てが自分を拒否しようとも。それだけの気骨を持つ人間が、政治家をはじめ、現代にどれだけいるのだろう。この作品を鑑賞して、改めて問い始められたと思う。そしてそれは、自分自身にもつながることだと考えている。

戦争に生きた祖父の形跡を辿ることによって見えてきた、祖父の本当の気持ち。そして、それを受け取った孫が見出した道筋。この作品は、そのきっかけが『祖父の戦争の形跡を調べる』ことであったが、きっと、自分自身の『是』を見出す、もしくは見出したきっかけは必ずあると思う。その大切さを感じられた作品であると思う。



映画『永遠の0』